小説が書けない気持ちめぐり……前編「パートナーが欲しいと心は言った」

手をつなぐ男女

昨日、小説を書く時間が、昼間にポンと生まれた。

心が軽くなって、とてもいい時間をもらえたように感じ、とてもうれしくなった。

しかし、その2時間、一文字も書くことができなかった。
途中から、どうしたら書けるようになるか、ネットをあさってみたが、そんな答えあるわけがない。

あったとしても、パソコンで書くのか、手書きするのか、ポメラがいいとか……。
道具で変わるなら、とっくに書き上げている。

ずーっとこの書けない理由、もしくは言い訳の原因を考えてしまう。

好きが自分の幸せ

不安

夕方になり、ウォーキングに出る時間が来た。毎日ではないければ、週3〜5日ほど1時間くらい負荷をかけながら歩いている。

普段なら、瞑想するように、何も考えないように、自分の息遣いを聞くように歩いているが、この日は「小説を書いている自分」を想像して歩いていた。

出来ない理由を探すより、出来ている状態になってしまおう、と思った。
とにかく、机に向き合う自分を考えた。

それこそ、「安西先生、バスケがしたいです!」とかぶらせるほど、心のそこから思いを巡らせた。

しばらくして、急に不安に襲われた。

それが最初、何の不安なのかわからなかった。

小説を書くのに、一人だと不安なのだろうか。

いやいや、リレー小説で一緒に書いてくれる仲間もいるし、違うようにも感じた。

少なからず自分の作品を読んでくれる人もいる。

パートナーが欲しい

すると、ふと心がポツンと寂しくなって、一人じゃ嫌だ、と自然と思ってしまった。

純粋にパートナーが欲しいと思えたのだ。
これは、異性としての、ともに寄り添って生きていけるパートナーのことだとわかった。

今までにパートナーが欲しいと思うことはたびたびあった。
でも、それは、自分の回りで誰かが付き合いだしたり、結婚したり、年の節目節目にやってくる周囲の空気の流れに急き立てられていただけだった。

本当のところ、実際にその誰かと関係性を持ちたかったのかというと、今、それは違うと思っている。

結局、周囲の目が気になっていただけで、本意ではない。単に着飾った自分を見せたい見栄だった。

本当の好きを嘘で塗り固めた以前の自分のことを今では、冷静に見返せいてる。

この気持ちになった時は、今までとはまったく違う気持ちで、パートナーが欲しいという想いになった。

まったくもって、下心とかそういうのではなく。そういったこと、すべて超越して、一緒に歩いていける人を心の中に思い描いていた。

幸せの形

パートナーがいるから、不安がなくなるとは思わないし、幸せになる、とも思わない。

一緒に歩いてくれる人がいたら、より力強く歩けるだろうなと感じた。

自分が引っ張ってやるとか、幸せにしてやるとかじゃなく、一緒にいたらより幸せになるね、どうしたらいいかと一緒に悩むことができる、という形がいいと思えた。

当然、不安や不満、乗り越えるハードルも出てくる。けれど、それを乗り越えた先にしかない幸せが、本当の幸せなのか疑問に思う。

問題を解決して、乗り越えたら、その分幸せになる。

今でこそ、こうやってブログを書いたり、小説が書けなくて悩んだりする時間も幸せなんだと感じるようになった。
どれも、自分の好きなことである。

ここまでの一連の流れで、言葉にうまくできていないけれど、どんどん自分の心と触れ合っていった。
そして、幸せに対して行きついた気持ち。

好きがもう幸せ、なんだと思う。

前編のおわりに

ここまで思考が蛇行して、やっと、小説を書くことに対して自分が向き合う流れになっていく。

ウォーキングも、ちょうどコースの半分くらいまで来たところだった。じんわり汗もかいて体も温まったところ。

ようやく思考が、自分の「想像力」という物体と向き合い始めたのだ。
向き合い始めた瞬間、そりゃー書けないわけだと思った。

突然、自分と想像力とあらゆるベクトルの構図が、頭のなかに浮かんできた。

言葉を並べることは、ブログも小説も同じなのに、自分の中では違っていた。
ましてや、以前仕事でお客さんに渡す手順書は、すらすらと作ることができていたのに、小説となると途端に書けなくなる。

自分の想像力との向き合い方については、次回にします。

手をつなぐ男女