5-7.決壊 [小説 理想水郷ウトピアクアの蝶]
シリカは、住んでいた山を追い出した人々を呪い笑っていた過去の話をする。
ほとりたちのいる中洲に、川の水が流れ込んできて、ゴーレムとともにほとりは流されてしまう。
シリカの過去
シリカは、額に手を当ててゆっくり息を吐いた。
「シリカさん、大丈夫ですか?」
ほとりは、突然、表情を曇らせ、恐怖すら感じているようなシリカが心配になった。ずっと強い意志を貫いていたシリカだったが、今は嘘のような姿だった。
「昔の記憶が蘇ってきただけだ」
ほとりは、それが、楽しい記憶ではないことだけは確信できた。
「オマエモ、オナジコトヲ、サレタノカ」
シリカは、額から手を外して、一度深呼吸をした。
「私は、雨の中で、笑っていた」
シリカは、一点を見つめて、苦笑いした。
ほとりは、不自然に上がった口角に不気味さを感じた。
シリカは、セリカ・ガルテンにやってくるまでのことを、過去の糸をたぐるように丁寧に話した。
シリカは、両親と山深い場所に住んでいた。
ものごころついた時から、山の中で生活していたから、そこが不便だとは思わなかった。自然に囲まれ、自然とともに、自然の流れの中で生きてきていた。
ある日のこと、シリカの家が建つ山が、大きな会社に山ごと買われてしまった。両親は反対したが、代わりの土地と住処が町の中に与えられ、最後はそれに従うしかなかった。
近代化する町にシリカは、なかなか慣れることはなかった。ずっと、今まで通りの山の中での暮らしを望んでいた。
一年もしないうちに、元のシリカの家の一帯は、切り崩されて、富裕層向けの大きな家々が建ち並ぶ住宅地に変わってしまった。
シリカは、そこに住む人たちを毎日のように、消えてしまえ、と呪っていた。
長くやまない雨が続き、大雨となった時があった。
夜、住宅ごと山が崩れ、避難指示が出ることもなかったこともあり、多くの死者を出した。山の裾の町も大きな被害を受けた。
シリカの家は、隣町だったので、被害はなかった。
被害の話を聞いたシリカは、現場を見に行った。まるで、山から茶色い龍が駆け降りたような跡を目の当たりにした。山の神の罰が下り、いい気味だと笑っていた。
シリカは、自分たちを山から追い出し、山の意向を聞くこともせず、山を崩し、認められていない人がその土地に住み始めた罰だと思っていた。
実際、山を削って人が住むようになった場所は多くあった。
今度、シリカは、山が崩れるその瞬間を見てみたいと、大雨の日に出かけた。
その土砂災害以後、避難指示が出される地域があったので、それを頼りにシリカは斜面の住宅を見に行った。
雨が激しくなり、滝の中にいるかのように傘は壊れそうになり、轟音の中、立っているのもやっとだった。住宅の見える林の中に入ったシリカ。
しかし、シリカの足下の地面が滑るように崩れ、襲い狂う土と倒れてくる太い木々を目にしたのが、それが元の世界での最後の記憶だった。
気がついたら、セリカ・ガルテンの浜辺にいたと言う。
聞き終えたほとりは、シリカがこの島に一人で居続ける理由がわかったような気がした。
「地形に手を加えてはならない。自然にまかせておいた方がいい。
手を加えれば、必ずどこかが破綻して、地形が壊れていく。自然をコントロールすることなんてできないんだ」
「ダイジュオウノ、シジ」
ゴーレムはこの島で、自然に従う者だと言いたげだった。
このまま雨が降り続ければ、川の氾濫、森さえも被害を受けかねない。
「やっぱり、なんとかして雨を止めたほうがいいのかな。森を説得して……」
シリカは、ため息をするように深く息を吐き、どうしたらいいのか悩んでいるようだった。
川の氾濫
ほとりは、そうは言ったものの、自分が説得できるはずもなかった。
ここに来るまでのことを考えると、シリカにもそう簡単なことではないこともわかっていた。
――本当に雨が止むのを待つしかないのか。
急に、その場の匂いが変わった。
――土の匂い?
ゲートを潜って、洞窟の匂いの記憶が呼び起こされる。だが、バックウェーブ島の汚水の臭いに比べれば、まだきつさはなかった。
ほとりより奥にいたシリカも匂いに気づき、急いで立ち上がって、外に出た。
犬のように匂いを嗅ぎながら、辺りを見回す。
「すごい土の臭いだ。どこかが崩れている証拠だ。川が決壊しているかもしれない。
ほとり、ここにいたら危ない」
シリカが仮面をつけ直して、羽を広げた時だった。
シリカの足下を飲み込むように、茶色い水が流れる来るのが見えた。あっという間に、中にいるほとりの足下も水で溢れ、どんどん水位が高まっていく。
「ほとり、すぐに出てこい――」
シリカに叫ばれた瞬間、耳元で雷が鳴ったかのように、雨をしのいでいたドーム状の石が、濁流とともに崩れてきた。
もうダメかと、目をつぶったほとりは、痛みを感じなかった。体が冷たくなっていくのを感じていた。
これが死への階段だと思った。
「ダイジョウブ、カ」
ゴーレムの声で目を開けたほとりは、辺りが怒り狂った川になっているのを目の当たりにした。
川上に立つゴーレムに体をつかまれているほとりは、下半身は水の中だったが、ゴーレムに激流から守られていた。ゴーレムに守もられていなければ、今頃、濁流に流されていたことだろう。
「ほとり――」
雨を切るように、羽を広げたシリカが上空から向かってきた。
「シリカさん」
互いに手を伸ばす。
ゴォーン、という強い衝撃音とともに、ゴーレムとほとりは、濁流の中に沈んだ。
ゴーレムの背中に流れてきた大岩がぶつかったのだ。
その衝撃で、ほとりはゴーレムの手から離れ、流されてしまった。
すぐにほとりの背中から水の羽が生え、羽が球のようにほとりを包み込んだ。濁流は、その球を避けるようにして流れていく。
バランスを崩したゴーレムも川に沈み、流されてしまった。
ゴーレムに打ちつける大小の石が、ゴーレムの額の文字を傷つけて消す。
固いはずのゴーレムの体は、チョコレートが溶けるかのように、いとも簡単に崩れていった。
水に溶けて、遠ざかり、茶色く濁った水流の中へ消えていく。
生命が消える瞬間を見せられているようだった。
ほとりは、もういないゴーレムに伸ばしていた腕を下ろした。
5-8.水を操る蝶人