2-4.バックウェーブの水 [小説 理想水郷ウトピアクアの蝶]
公演終わりの興行主の説明によって、蝶人たちは生水を飲んで、フリークになってしまったと判明する。安全なバックウェーブの水を購入するよう促してきた。
サーカス団の蝶々
二度、少女の羽が羽ばたく動作を見せると、テントの中は、観客の感嘆する声で満たされる。
少女が立ち上がると、みすぼらしい衣装がさっと脱げ、妖精を意識したひらひらの綺羅びやかな衣装に変わった。
ポスターや写真に写っていた彼女そのものだった。
さらに歓声は上がり、少女がステージから飛び立ったことで拍手が湧き上がる。
蝶人が飛んだあとに光の粒子が飛び散っていく。
客席の上を飛び回ると、会場全体に光の粉が降り注ぎ、ほとりは、幻想的な雪を見ているようだった。
どうやって、サーカス団の一員としての彼女を連れ出せばいいのか、ほとりにはわからなかった。
自分が飛べるのであれば、強引につれていくこともできるだろう、とほとりはその考えを打ち消した。
フィロメーナ・バックウェーブ
軽快な明るい音楽とともに、ステージ上でフリークたちが登場し、踊り始めた。
多くの観客は拍手をしているが、ほとりは、ただステージを見つめていた。
何を理由に拍手ができるのか理解できなかった。拍手で満たされるテント小屋全体が不快だった。
ステージは、華やかな演出で幕を閉じた。
鳴り止まない拍手に、ほとりは胸を締めつけられた。
――見世物にされている彼らは、何も思わないのか。
拍手がおさまりかけて静まるかと思いきや、また盛り返した。ステージ上にパンツスーツ姿の女性が一人マイクを持って現れたのだ。
「本日も最後までバックウェーブのサーカスをご覧いただきありがとうございました。バックウェーブサーカス団興行主のフィロメーナ・バックウェーブです。
みなさま、フリークショーに出ていたパフォーマーは全員本物です。決して、特殊メイクを施しているわけではございません。
元は、ただの人間でありましたが、たった一滴の汚い水を飲んでしまったがために、あのような人でいて、人ならずの姿になってしまいました。
たった一滴の水で、です。
どうかここにいる皆さま方には、お願い申し上げたいのです。出どころの知れない水は、決して口にしてはいけません。
そこで、私どもバックウェーブ・ファクトリーが、全力で今日集めてきた世界で一番安全で新鮮な水を独占販売いたします。
昨日の水は、もう古く危険になっているかもしれません。ぜひ、保証された安全な水をお土産として、外の物販にてお買い求めください。
本日は、ご来場いただきまして、ありがとうございました」
フィロメーナが一礼すると、テントの屋根を吹き飛ばすくらい大きな歓声と拍手に包まれた。
しかし、ほとりの耳にはその拍手は全く入ってこない。世界に取り残されたように、一人静寂の中にいた。
――そういうことだったのか。バックウェーブが独占して水を売る理由。
――全ては自分たちの利益のため。
――フリークという人の見た目を利用してまで。
ステージ上で拍手に答えようとあらゆる方向に笑顔で何度も頭を下げるフィロメーナをほとりは、鋭い目つきで見ていた。
――これがウトピアクアなの?
――こんなのが理想水郷なんて許せない。
同時に、ほとりは、ふと疑問が浮かんだ。
なぜ、ここがウトピアクアなのに、蝶人が彼女だけなのだろうか。ほとりは、町で空を飛んでいる者を一人も見なかった。
ここにいる人々はみな、蝶人ではないのだろうか、と。
四種類の水
ほとりも半ば強制的に列の流れに飲み込まれて、テント小屋の外へ出た。
その途端、前へと続けとばかりに、観客たちは一斉に走り出す。すでに水を販売するテントの前には、大きな人だかりができていた。
ほとりは、このウトピアクアの水がどんな水なのか確かめるため、人だかりの山に突っ込んだ。
客たちは、瓶を四、五本買っていく者もいれば、ケース一箱抱えて行く者、台車を押して五箱購入している者もいた。誰も彼も水を手にして笑顔だった。
やっとほとりは、水の瓶が並べられたテーブルの前にたどり着いた。貼られたラベルを見ると、いくつか種類があった。
山の水、地下の水、深海の水、そしてピラミッドの水というものもあり、ほとりは、種類が多いことに驚いた。
さちに値段を見て驚いた。一本二百ユーアで、ピラミッドの水だけ二五〇ユーアだった。入場料よりも高かったのだ。それが次々と売れていった。
ほとりは、全種類を一本ずつ買った。
助け出す理由と方法
すでに外は暗くなっていた。
ほとりは、買った水の飲み比べをしようと落ち着ける場所を探しつつ、シュメッターをどう助けるか悩んでいた。
頭に浮かぶのは、妖精のような少女が天井すれすれを飛び、光の粉を散らして、人々を魅了している光景だった。
仮に連れ出せる方法があったとして、そもそも彼女はここから出て、セリカ・ガルテンに行きたいと思うだろうか。
助けてくるよう明日架に言われたほとりだったが、その蝶人がサーカス団の一員で、無理矢理ここから連れ出す理由があるのかとも考えていた。ただ、フリークとして見世物にされていることだけは、許せなかった。
ほとりは気がつくと、いつの間にかサーカス団の裏手まで来ていた。
ほとりの背丈より高い鉄柵で囲まれていたが、握りこぶし分の隙間から敷地内の様子が見てとれた。
明日の公演の準備か、荷物を運ぶスタッフがいくつも並ぶ小屋やトレーラーハウスに出入りしている。動物の鳴き声も聞こえてくる。
ほとりは、もしかしたら、彼女に声をかけることができるかもと思った。
「おい、小娘。何を見ておる」
男の声だったが、姿は見当たらなかった。
2-5.空から侵入
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