一文物語365 2016年3月集
一文物語
1
急がないと、と彼女はまっすぐ壁を突き破っていった。
2
深深と降る雪の音を聞いた少女は、誰に見られることもなく、その小さな重なりに愛おしさを覚え、涙をこぼして、大の字で抱き倒れた。
3
流氷に乗ってどこまでも、行けず、流氷は溶けてただ海面を漂っている。
4
雲が途切れると、雲乗り船はにっちもさっちもいかなくなるので、仕方なく雲の風まかせ。
5
苦情の手紙を書いて投函したら、ポストの中で炎上しているらしく、投函口から黒い煙が昇っている。
6
街灯が消える頃、彼女はお疲れ様と言って出かけて行き、辺りが暗くなり始めた頃、戻って来る彼女に街灯はおかえりという気持ちで光を灯している。
7
その国のネクタイ人は、大事なことをネクタイにメモしている。
8
役目を終えた大仏が、武装していた鎧を脱ぐと、小さな仏様が汗だくで出てきた。
9
道に迷った彼女は、自分を構成する螺旋の紐をほどいて道を見失わないよう歩いていたが、本当はしきりや順路はなく、たどってきた道順ばかりを気にしすぎて、とうとうほどく紐がなくなり、彼女は消えた。
10
また明朝になり、その絵師は広大な空のキャンバスに夜空を描き終えることができなかった。
11
本当はここから出たくてたまらないの、そこのあなた、出してくれない、と額の中で微笑みかける女の声は、目の前まで来る人々には聞こえていない。
12
妻は無言で魚をさばいていたら、不倫の罪に耐えかねた夫がさばいて欲しいと懇願し、妻は裁判所で裁かれた。
13
ゴミ箱をゴミ箱に捨てた。
14
みんなを驚かせようと、地面に巨大な足跡を掘っていた彼が発見された時、巨人に踏み潰されていた。
15
よく見て、よく見て、よく見て、どう頑張っても針の穴に糸が通らない。
16
書庫の読み切れない本と読み終わった本が乱雑に積まれて、塔や山を作り、時に崩れた本が穴倉を作って、そこは猫たちの楽園となっている。
17
呪われた燃える楽譜を演奏するたびに火事が起こり、出火場所はピアノで、その演奏者は二度と演奏できないくらいに激しく燃え尽きてしまうのである。
18
家の壁に飾ってある、楽しそうに写る子供の写真がぼやけて見え、目が悪くなったのではなく、記憶が薄れてしまっている。
19
彼も彼女も、通行人BやCで、主人公はいない、と地球監督は自然演出に力を注ぎ、謳っている。
20
自由と題されたその像は、自らの意志でその場で動かず、ずっと立っている。
21
別れ際に、夢で会おうねと言って別れたその晩の少女の夢に、別の男性が出てきて、彼女はニヤついていて、彼氏は彼女のいない夢を彷徨っている。
22
彼女は、心霊スポットのトンネルに入った彼らを一人車で待っていたが、トンネルから戻ってこず、突然、車のトランクから彼らの叫び声が聞こえた。
23
ここに、槍のごとく、爪楊枝のごとく、爆弾のごとく、紙吹雪のごとく、紙くずのごとく、鳥のふんのごとく、冷たい雨粒のごとく、甘いはちみつが垂れるかのごとく、千の消えない想像の足跡が続いていた。
24
その宝箱は誰も中身を確認できおらず、開けようとすると雷が落ちくる。
25
いい服が着たいなどと口論の末、保健室で激しく争ったらしく、保健室と理科室にいた人体模型がバラバラに飛散している。
26
結婚の儀に際し、彼女は家庭という荒野で花嫁の戦士となった。
27
シートを広げて見上げる満開となった夜空の星々は、今すぐ散ることはないが、数億年後にその光は消失して見れなくなり、宇宙のいたるところで悲しみの涙がこぼれ、また星となる。
28
体がだるく重かったので病院でレントゲンを撮ると、彼女の中でもう一人、蠢いていた。
29
桜の木の下で花見をしていた青年は、前世にこの桜の木の下に人を埋めた記憶が蘇ってしまった。
30
仕事から帰ってくると整頓された部屋はいつも荒らされていて、物音のするクローゼットを開けて発見したタイムゲートをくぐると、いつもの朝を迎えて仕事に出かけた。
31
息抜きに青年が公園で猫の図鑑を読んでいると、野良猫が図鑑見たさに寄ったきたので、別の日に女性がたくさん写っている本を読んでいると、警官が近寄ってきた。
一文物語365の本
2016年3月の一文物語は、手製本「星」に収録されています。