一文物語365 2016年7月集
一文物語
1
どしゃぶりの雨のせいで、魔の海となってしまった長靴を履いている少女が泣いている。
2
魂を込めて書くことで字は生きだし、彼は死んだ恋人の名前を書き連ねるが、いつもインクが滲んで思い出ばかりが蘇る。
3
険しい山を越えた先の谷間に住む老父は、必死になって訪ねてくれる人の嫌な記憶や不幸を石にして取り除き、その人がすっきりした気持ちになって帰ると、その石を砕き、そこから浮かび見えてくる不幸を笑って楽しく生きている。
4
広場のベンチで溶け出しているアイスを食べていると、俺にもそれをよこせと言わんばかりに、噴水が生ぬるい水を吹き上げている。
5
歌の発表会を近くに控えた彼女は、夜中、不安で目が覚め、薄曇りの草原で歌の練習をしていると、幕が開いたように月が光を落とし、風が吹いて遠くから押し寄せてくる拍手の波は本番以上に心に響き、その草原には歌う精霊がいると噂されるようになってから、彼女の姿を見る者はいなかった。
6
卵が割れて、ピヨっと生まれた雛が、最初に見た青空に浮かぶ自分と似た雲を追いかけて行く。
7
この暑い時期になると、彼女は雲が落とす影の中しか歩かないので、いつも雲について行っては行方がわからなくなって、涼しくなるとひょっこりどこからか帰ってくる。
8
積み重ねられた書類を前に人手が欲しい彼だったが、その場にはいつも自分しかおらず、つい鏡の中から冷たい自分を引っ張りだして、命令してしまう。
9
溺れかけていた少女は、閉館時間です、と声をかけられて、引きずり込まれていた文字の海から顔を上げ、魔の図書館海域から脱出した。
10
探索宇宙船から見える恐竜星団は、恐竜の形をした岩や骨格模型が飾られた巨大な博物館のようだったが、突然船内に警報が響き渡り、後方から口を開けた恐竜集団が流れてきて飲み込まれてしまい、それはまるで地球で見た図鑑の中を、宇宙を背景に飛んでいるようだった。
11
思い出に撮った集合写真には、もう誰も写っていない。
12
削岩現場から月の岩でできた船を発見した男は、月の岩を掘って一儲けすると言って、妻や子供を地球に残し、船に閉じ込められていた月の姫にいざなわれて、地球を去って行った。
13
生暖かい風が吹く夜の灯台に巨大な蛾が群がっている。
14
また浜辺に綺麗に並んだ白骨が乗せられた木舟がたどり着き、沖を眺めると、年に数回晴れた時にしかその姿を見せない神隠しの出口とされている鬱然たる木々で覆われた島が見える。
15
声を発することが好きではなかった少女は、いつも肩でさえずる鳥に自分の思いを喋らせていたが、混沌とする世界で成長した彼女は、その世界を眠りにつかす子守唄の声を発した。
16
家出してきたという彼女は、新しい名前が欲しかったと言った。
17
壮快で快適な使用感と噂が広まったトイレに人がどんどん入っていくが、誰も出てこず、みんなスッキリして油断して流されてしまっている。
18
磁石のような彼女はいつも彼と手をつなぎ、地球の裏側で放たれた銃弾すら引き寄せ、幽霊も背後にいたりして、彼はドキドキしている。
19
夜の和室で、女の着物の帯を鼻息荒くくるくる引っぱり、着物がはらりとはだけると、ぱさりと着物は落ちて、女は消えた。
20
少女がさんぽをしていると、うしろから黒ネコとカラスがついてきたので、少女は魔女の素質があると思って、母に箒がほしいとねだったが、机の上の小さな箒を与えられ、家中を手放しで埃とりの修行に勤しんでいる。
21
灼熱のアスファルトの上に果敢にも氷の花が咲き、それを見ようと集った人々の熱気で溶けかかっている。
22
カラフルなペンで書かれた人生シナリオの文字の上を疑いもなく踊り跳ねて進んでいたが、突如、黒の文字になってかすれ始め、立ち止まって先を見通すと、句点が書いてあった。
23
女神が地球に腰かけている間だけ、夜になる。
24
ボツにしていた一文が間違って錬金術師に錬成されてしまい、一文が路上に積み重なって、みんな上からのぞき込んでいるので、恥ずかしい。
25
どこに向かっているかもわからないレールの上を、黒い煙を吐きながら生きている。
26
もう二十年もその会社に勤めている彼には妻子もいたが、冷たい家に帰宅したある日、スーツを脱いでふと自分の体を見たら、いつの間にか機械式になっていた。
27
少女が十数個ある卵を孵すと、かわいい雛の中に一匹だけ火を吹くドラゴンがいた。
28
指揮者がリハーサルに、ひとつだけ音の悪い弦楽器がある、と指摘して楽器を見て回ると、一本の弦がヘビにすり替わっていて、見つかったヘビは舌を出して慌てて逃げていった。
29
ガラス板越しになると、みんなイキイキと文字を踊らせる。
30
少女がどこからか飛んできた風船をつかむと、手紙がついており、金魚のフンのごとくいつでも主についてくる迷惑な金魚をよろしく、と書かれていて、するとパンと風船が割れて、空飛ぶ金魚が飛び出してきた。
31
花火が光っている間だけ、花火の好きだった彼女の姿が暗闇に浮かび上がり、線香の煙のように硝煙だけが天に昇っていく。
一文物語365の本
2016年7月の一文物語は、手製本「雲」に収録されています。