短編小説「星の終わりにくちづけを」

 エリーがうちに来てから3日がたった日の深夜。

 自分の部屋で寝ていた俺は、小さな声が聞こえて目を覚ました。

 ベッドに横になったまま、耳だけをすます。薄明るい窓の外や家の中に人の気配はない。

 別の部屋で寝ているエリーかと思ったが違った。

「た す け て」

 小さな声だったが、今度ははっきりそう聞こえた。

 変な声を聞いてしまったのかと、俺は驚いて体を起こした。部屋を見回しても誰もいない。

「た す け て……たすけて……」

 声の前後に、ザザッと電波が乱れるような音も混じっていた。

 ――まさか。

 俺はベッドから飛び出て、本棚の前に立った。もう読まれずにほこりをかぶった棚と本。その中に、オブジェがあった。

 そのオブジェは、導線が筒に巻かれていて、ダイアルがあり、枠に小さな石がはめこまれている。その石の表面をなぞれるように、細い金属棒が支柱に支えられていた。

 不気味な声は、それにつなげられたイヤホンから聞こえていた。

 俺はそれを耳に当てた。

 ザザーッ たすけて――

 今度こそ、はっきりと女性の声が聞きとれた。

 ――このオブジェは電波を受信するような仕組みなのだろう。

 これがいままで一度も電波を受信したことはなかった。

 ――いったい、どこから発信されたのか?

 俺はなんども思った。ココには、もう誰もいないのだ。

 ――いや、エリーと同じようにまだ誰かがココにいる?

 俺は、エリーの部屋のドアをそっと開けてのぞきこんだ。静かに寝ている彼女を確認して、すぐにドアを閉めた。

 ダイニングのテーブルに、すぐに戻ってくると置き手紙を残して、俺は家を出た。

 薄明るい夜中の林道を進んだ。

 湖に沿うように右へ四分の一ほど行く。そこに戦闘機が一機、放置されていた。

 ここに来てから、一度も乗っていないため、枝葉に覆われてしまっていた。

 操縦席に座り、スタートボタンを押す。電子パネルが光りだし、戦闘機が作動した。

 ――問題なさそうだ。燃料も行って帰ってくる分はある。

 俺は操縦桿を握った。この地に降り立ってからは一度も乗っていなかったが、座席に座ったことで、体の中から感覚が目を覚ます。

 戦闘機は、当たりの木々を揺らして、ゆっくりと浮上する。そして、いっきに空へと飛行した。

 戦闘機の騒音で、エリーが目を覚まさなければいいなと思っているうちに、いびつに欠けた地平線が見えはじめた。

「もうこんなところまで、来ていたか……」

 この星は、黒い月に食われいる。

 2年前、突然、黒い月が東方に落下した。そして、その月から天使が3体現れた。

 湖に立っている天使とは比べものにならないほど、巨大な天使。巨人と言っても過言ではない。

 1体は湖に立つ両耳の立った天使。そして、右耳が立ち、左耳が折れた天使と、右耳が折れて、左耳が立っている天使3体が、人類を破壊しはじめた。

 天使と人類の全面戦争がはじまった。

 俺は、戦闘機乗りの一人だった。どんな武器も兵器も天使には効き目がなかった。

 人類がなにもできないまま、多くの人たちがその犠牲になっていった。

 妻と娘だけではない。世界中で逃げ惑う人類は、天使の光を浴びてオレンジ色の液体に変えられていった。

 俺は反対側の窓に顔を向けた。天使が大地を|闊歩《かっぽ》する場をなくした黒い月は、俺の家まであと山二つ分とのところまで迫っているのが見えた。

 月の進行速度が、自分の死とこの星の終わりを意味している。

 ――もうそんなところまで……。

 俺は操縦桿を握り直して、捜索を再開した。しかし、地上に人の動く影はない。

 俺はさらに高度を上げて、宇宙へと出た。

 地球を取り囲むように、金属の破片が無惨に散っていた。その破片はどう見ても人工物だった。

 地球を脱出した宇宙船、もしくは、人類の新たな住み処、宇宙居住区コロニーを形成していたもののように俺は思えた。

 天使との戦争に人類は、すぐに攻撃を放棄。地球を破棄して宇宙に逃げることを選択していた。

 コロニーへの移民が、以前からはじまっていたため、それが加速して移民完了はたったの半年しかかからなかった。遅くなれば、犠牲者が増えるだけだった。

 しかし、地球に俺以外の人がいなくなった途端、巨大な天使は消えてしまった。住み処を見つけたあの湖のほとりにいる天使以外は。

 破片は暗闇の向こうから永遠と漂ってきていた。

 ――天使があと追って、宇宙船やコロニーを破壊したのか。

 ――だったら、あの救助を求める声はそこからのものだったのか。

 戦闘機の燃料を見ると、残り少なくなっていた。

 宇宙の先が見えないのと同じように、永遠に答えの出ない思考を止めて、舵を地上に向けた。

 しかし、戦闘機がまったく前に進んでいないとわかったのは、1分くらいたってからのことだった。

 戦闘機に異常は確認されていない。

 冷や汗をかきながら、俺は辺りを見回した。そして、背後を見たときだった。

 白い大きな渦が迫ってきていた。

 いや、戦闘機がその渦に吸いこまれていたのだ。

 ――まずい。このままじゃ。

 俺は戦闘機の出力を最大にした。しかし、渦から離れることはできず、しだいに渦が近づいてくる。

 戦闘機の背後からガガガッと、機体が壊れていく音と振動が伝わってきた。

 ――くそっ。こんなところで、わけもわからず死ぬのか。

 俺は、白い渦に飲みこまれた機体が光に刻まれていくのを見ているほかなかった。

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