3-1.砂漠のウトピアクア [小説 理想水郷ウトピアクアの蝶]
岩のゲートをくぐった先は、砂漠の大地。
砂漠の丘の先に見えたピラミッドへ向かうほとりの頭上を蝶人が通り過ぎて、ほとりはあとを追う。
ピラミッドの影で休んでいると、バケツが落ちて来て……。
開く岩
ほとり、明日架、ツバメの三人は、石庭の上に降り立った。
奥園に入ってすぐの庭園の一つ。
小石で表現されたきれいな波の真ん中に、両腕を回しても抱えきれないほどの大きな岩が鎮座している。
学舎に一番近いとはいえ、奥園は昼間でも人が近づかず、静かだった。
「会長。やはり、私は反対です。バックウェーブから無事シュメッターを連れ帰ったとはいえ、ここはあまりにも危険です」
普段、何ごとにも明日架をたてるツバメが反対している姿は、めずらしかった。
「わかっている範囲内のことは説明したし、私の時にはなかった固形水も持たせた。
誰も進めなかった先へ少しでも進んで、情報が集められるだけでもいいと思わない?」
「それはそうですが……」
ツバメは、まだ何か言いたそうだったが、言わなかった。
「無理はしなくていい。本当に危ないと思ったら戻ってきていいからね、ほとり」
明日架が無理強いをしていないことは、話し方でわかった。だが、期待が込められていることもわかる。
「はい。ここからどうやって次のウトピアクアに行くんですか?」
バックウェーブ島に行った時のようなゲートは見当たらない。
「少しもらうね」
明日架は、ほとりが肩からかけていた水筒から、少し水を手のひらにこぼした。そして、その水を岩の表面に垂らした。
何人いれば持ち上げられるかわからないその岩が、ゴゴゴっと、中心から縦に割れて、左右にひとりでに動いていく。
ほとりは、その岩に恐怖を感じて、岩から離れた。足場の砂利の不安定さに、気持ちも傾く。
岩と岩の間が広がっていくと、光の幕のゲートが出現する。
「岩に水分を含ませることで、岩が開く。乾くと自然に閉じていく。
向こう側からこっちに戻ってくる時も同じだから。
たぶん向こうに水はあるから平気だとは思うけど、念のため少し水を残しておいたほうがいい」
明日架は、ほとりを安心させるように、優しく言った。
「わかりました」
ほとりは、岩が動き出した理由がわかり、落ち着いた。
人一人が通れるほどの間が空いてすぐ、割れた岩がもとに戻り始めた。
「閉じちゃうから、早く通った方がいい」
「はい、では行ってきます」
明日架とツバメの目を一度見た。二人の表情は、明らかに対象的だった。ツバメはいつになく不安な気持ちを抱えているように見えた。
ほとりは、サッとゲートの幕の中に飛び込んだ。
オアシス
ゲートを越える瞬間、ほとりは息を止めた。また、不意に異臭を吸い込むのが嫌だった。
それは杞憂におわり、そんなことを考えている余裕は、一瞬にして消えた。
全身からどっと汗がふき出る蒸し暑さに包まれていた。
ほとりは、池の中央の小さな島に立っていた。
浅い水深の池の周囲は、草木に囲まれてはいたが、それもまばらで、砂地に見えるところも多い。
ゴゴンと、背後の大きな岩の隙間が閉じ、ゲートが消えた。
ほとりは、ピラミッドへ向かうことにした。そこに、シュメッターがいると明日架から聞いていた。
膝まで池の水につかるが、それほど冷たくはなかった。
池から離れていくと、草木は水分を失って枯れていて、一面の砂漠が広がっていた。
ゲートの場所が唯一のオアシスであることがわかる。
砂漠の丘ばかりで、ピラミッドは見当たらなかった。
ピラミッドに向かう蝶人
暑さと目的地が見当たらない不安が、すぐに絶望感が変わる。
そして、飛べないことに堂々巡りの自問自答が頭の中で始まる。
しかし、歩き始めた足が砂にとらわれると、その思考は消えた。油断すれば、体のバランスを崩しかねなかった。
足下まで覆うコートと頭を覆うフードがなければ、五分もその場に立っていられないほど、強い日差しだった。
濡れたコートとズボンの裾は、いつの間にか乾いていた。
一つの丘の頂上に、やっとのことで辿り着いた。砂漠には足跡がくっきり残っている。当然、辺りに誰か歩いた跡はない。
いくつかの丘の向こうに、ピラミッドが一つあった。しかし、ゆらゆらと歪んでも見える。
蜃気楼かめまいでないことをほとりは祈って、方向を見失わないよう進んだ。
また一つ、二つ丘を越えた時だった。
真下の足下に一瞬、影がよぎった。
それは、自分の影ないことは明らかだった。
慌てて顔を上げる。
無数の汗が肌を伝うのを感じながら、ピラミッドに向かって飛んでいく蝶人が小さく見えた。
「あ、あの……」
大声は熱気に押しはばまれ、一言発するのが限界だった。
ほとりは追いかけようと駆け出すが、砂に足を取られて転んだ。
ふたたび顔を上げると、蝶人はピラミッドのてっぺんに到達して見えなくなってしまった。
しかし、ピラミッドを目視し、蝶人がいることもわかり、とにかく気持ちだけは前に進んだ。
ガラス瓶の水筒の水を飲んで、また歩き始めた。
視界からピラミッドが消えることはなく、しばらく歩いて、到着した。
見上げるそれは、一段一段の石は大きく容易に登れるものではなかった。
ほとりは、ピラミッドの影に入って、足をなげやるようにして座り込んだ。
体に蓄積していた熱が冷めていくのを感じていると、十メートルほどさきにバケツが落ちてきた。
ほとりは、別の何かに見間違えたかと思ったが、やはりバケツだった。
中に入っていたものが、辺りにぶちまけられてしまっていた。
ひらひらと花びらが落ちてきたかのように、一匹の蝶がバケツの横に舞い落ちてきた。
それは、羽がボロボロの蝶人だった。起き上がるのも辛そうだった。
「だ、大丈夫ですか」
ほとりが駆け寄ると、その蝶人はほとりを気にすることなく、必死にバケツに手を伸ばそうとしていた。
突如、そのバケツのそばの地面から、手が突き出てきた。
ほとりは、全身の汗が凍ったかのように、冷たく感じた。
3-2.死にきれない蝶人