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3-2.死にきれない蝶人 [小説 理想水郷ウトピアクアの蝶]

砂漠の中から現れた腐死蝶が、ほとりたちに襲いかかる。とっさに出現したほとりの水の羽が守ってくれた。その羽に触れた腐死蝶が悲痛な叫び声をあげる。
助けに来たもう一人の蝶人ともにピラミッドの中へ。
腐死蝶
砂の中から突き出てきた黒く変色して乾ききったその手は、あちこち地面を触れている。
――何かを探している?
バケツの中身がこぼれて黒く湿った砂地にその手が触れると、もう片方の手が地中から突き出てきた。
「ヒッ」
ほとりは、ビックリして鳥肌が立った。
地面が盛り上がって、チリチリの髪の毛、黒ずんで焼けただれた顔が現れた。はい上がってきた体には、落ちてきた
――な、なんなの、これ。
映画で見たようなゾンビやミイラの姿に、ほとりには見てとれた。まるで、火事場から出てきたようだった。
――まさか、これが、
ピラミッド島の砂漠には、死にきれない蝶人がいると、明日架から言われていたのを思い出した。
デフトは、湿った砂をすくって、顔におしつけて、口にも入れた。言葉にならない声を発し、呆然と立ち尽くしている。顔についている砂は、みるみると乾いていく。
ほとりは、デフトが何をしているのか理解できなかった。
落ちてきた蝶人は、バケツに手を伸ばすをやめ、四つん這いでその場から離れていく。
「早く逃げて……」
声カラガラの蝶人に言われたほとりは、弱った蝶人を見捨てることなどできなかった。彼女を抱き起こして、少しでも早くデフトから離れるため、ぎこちなく動く足を必死に早めた。
「地上はダメだ。てっぺんへ」
彼女がピラミッドの上を見上げた。
「え、そんな」
背後から、この世の声とは思えないうなり声が響いてきた。ほとりが振り返ると、デフトが羽を羽ばたかせてこっちに飛んで向かって来た。
消えた手
ほとりは、彼女と一緒に走り逃げることしかできない。しかし、弱った蝶人が砂に足をとられて倒れると、ほとりも一緒に倒れた。
砂だらけの口を大きくあけたデフトが、一直線に突っ込んでくる。
ほとりは、強く目をつむり、彼女の上に覆い被さった。
「ギャグワガバァー」
何の衝撃もなく、ただただデフトの叫び声が、鈍く上がる。
ほとりがおそるおそる顔を上げてみると、ほとりの水の羽が二人を包み込んでいた。
羽を出した意識は、ほとりにはなかった。
揺れる水面の羽に、デフトが歪んで見える。ほとりが視線をそこに絞ると、くっきりと羽が透き通った。
デフトがほとりの羽から手を引き離すと、手首から先がなくなっていた。
痛みを叫び、足下の砂が噴き上がり、溶けるように地面の中に潜って、デフトはいなくなってしまった。
ほとりは怖くて、羽をしまうことができなかった。バケツが落ちているところの砂にはすでに別の二体のデフトが、必死に砂を口に運んでいた。
突然、デフトたちが叫びながら立ち回り、砂をかいて地中に潜っていく。空から水の固まりが降ってきていた。
水が止むと、黒い縁に囲まれて青、赤、白の鮮やかな羽をもった蝶人が、バケツを拾い上げた。そして、ほとりの水の羽をただ見つめた。
マノンとミズホ
「もう、大丈夫だ。マノンだ」
鮮やかな羽の蝶人の名前だと、やっと気づいたほとりは、羽を広げた。
「無事ですか?」
赤いスカーフをしたマノンと呼ばれた蝶人が、抑揚なく、小さな声で言った。
「あぁ。この人が守ってくれた。助けに来てくれてありがとう、マノン」
「いえ、ミズホさんの戻りが遅かったので、気になって」
マノンは、ミズホに肩を貸し、飛び上がった。
「ここは危険だ。ひとまず一緒に来るといい」
ミズホがしわがれた声で言った。
ほとりは自分が飛べないことを話すと、ミズホの指示で、マノンが往復してほとりをピラミッドのてっぺんに運んでくれた。
「ありがとうございます」
「いえ、ミズホさんの命令に従っただけですので」
マノンは、淡々に答えるだけだった。
てっぺんからは、島をぐるりと見渡せた。ピラミッドは、ほぼ島の中央にあった。
ゲートのあるオアシス以外には、ただただ、砂漠が広がり、ずっと先に青い海があるだけだった。
マノンが羽織っていた服の脇から小瓶を出し、一滴、水を足下に垂らした。ピラミッドの岩が左右に割れて、マノンが中へと入っていく。
開ききった岩が閉じていくと、マノンから中に入るよう言われ、ほとりは飛び降りた。
ピラミッドの中
うわっと、ほとりは石の床に強く尻もちをついた。
閉じかける天井を見上げると、思ったより高さがあった。
壁から直接、火がたいまつのように空間をやさしく照らしていた。火は、ぴったりとくっつく石と石の間から燃えている。
「聞くまでもないが、君は、セリカ・ガルテンの蝶人だね?」
四角い部屋の壁際に、横になれるほどの石台に腰を下ろしていたミズホが聞いてきた。
「はい、そうです」
マノンが持ってきた水の入った瓶をミズホは受け取り、しかし、マノンはミズホの口元まで、手を添えて瓶を運ばせる。
その瓶が、バックウェーブ島で見た水の入れられた瓶と同じ形をしていることにほとりは気がついた。
ミズホは、舌を湿らす程度にしか、水を口にしなかった。
ほとりは、コートの前をあけ、胸元の水色のスカーフを見せた。
「想像はしていたが、やはり生徒会の遣いか」
そう言われたほとりは、ミズホの首元を見た。黒いスカーフが巻かれているがわかった。
「いまさら、連れ戻しに来たところで、私はそちらに戻るつもりはありません」
マノンは、瓶を持ったまま静かに答えた。
「え、私はまだ何も――」
頭にこもった熱が冷えてきたほとりは、彼女たちが生徒会の意図を理解しているのも当然だと思い始めた。
幾度となく、この島に生徒会がやってきているのだと。
「私は、ミズホさんの面倒を見るためにここにいます。この島も放っておけません。
私たちがここからいなくなれば、セリカ・ガルテンもいずれ、このウトピアクアのようになるでしょう」
淡々と、そして感情のこもらないマノンの言葉が、単なる脅しとして、受け取れることはできなかった。

3-3.ピラミッドの水