ニコニコ動画風のコメントを電子書籍やWebの文学などに用いて、新しい読書体験を模索!
活字離れと言われている昨今、ただ本が面白いだけではいけないのかもしれない。
もしかしたら、ただ読むだけの読書体験は古いのではないか。
本選びでも、本の感想やコメントは、本全体を読み終えてから本全体について書かれていることが多い。
むしろ、それが一般的で、その本をどう思ったのか書くのが当然である。
中には、引用を用いて、細かく書いてくれている感想やレビューもある。
その本を読もうか迷っている人には、こういったその本に対する全体の感想はとても有効だ。
しかし、実際に本を読んでいる間は、孤独ではなかろうか。無論、本は一人一人が好きな時に読むためのものでもある。
もし、本を読んでいる間も、読んでいる段落についての誰かの意見があったり、小説のセリフに感動のコメントをつけたりすることができたら、あまり孤独を感じずに、楽しく本を読むことはできないだろうか。
そう。
ニコニコ動画のように、動画の上にコメント表示を電子書籍、Web文学上で、それができないだろうか考えている。
ニコニコ動画風のコメントをテキスト媒体で
ニコニコ動画では、好きなタイミング、見ているタイムフレームにコメントをつけることができる。
コメントをつけると、他の視聴者にもそのタイムフレームがやってくると、コメントが流れ、他の人がその動画に何を思っているか、一緒に楽しめる印象がある。
それを電子書籍や小説投稿サイトなどで行えば、ただ小説や書籍を読む以上の発見があると感じている。
コメント付けの対象
文章の一文にコメント
電子書籍には、ハイライト機能があり、重要だと思う文に蛍光ペンを引くような機能がある。
ただそれは、個人が重要だと思い、後からもう一度読むためなどに使用する。
さらにそこから一歩上を行くようにするためには、ハイライトした一文にどう思ったのかコメント付けすることができたら、面白いと思う。
小説であれば、描写が単に好きであることを書き込んでもいい。セリフに感動したなら、そのことを書いてもいい。
あらゆるところに個人の感想があれば、一人で読むのも辛くないはずだ。
この本を読んだ人が、ここで何を思うかを知れるのは楽しい。
読み終わった後に感想を聞かせ合うのもいいが、読みながら感想を言い合うのもいい。
興奮するような展開のところにも、きっと「どうなる?」といったコメントがあるかもしれない。
単語にコメント
単語一つにでも、コメントをつけてもいい。
それこそ、登場人物の名前に、声をかけるようなこともできるだろう。
登場人物からは、反応は返ってこないが。
補足説明
補足説明もについても、補足説明箇所近くを読んでいると、コメントが流れてくるように補足されてもいいと思う。
文章や単語に、スレッドを立てられる
上記のようにコメントを付けた箇所にスレッドを立てることができ、その箇所についてのより深い議論をすることができないだろうか。
本全体の感想形式では、一つの場所に限定して、語り合うことがやりにくいのではないか。
人と人が対面して、ここはこうで、と本のあるページを指差しながら話すことはとても簡単だが、読んでいる時間も時期も場所もバラバラな人とそれはできない。
しかし、インターネット上であるなら、場所も時間も関係なく、記録されていればいつでも書き込める。
読書会の生放送
オンライン読書会
読書会を開き、オンラインで生放送する。
読書会と聞くと、みんなが1箇所に集まって、それぞれが持ち寄った本を一緒に読むことだろう。
ここでいう読書会は、オンラインで場所は問わず、一つのものをみんなで読んでいくものだ。
生放送の動画をみんなが一斉に見るように、文章を淡々と読んでいく。
画面には本の文章が表示されて、一定のスピードで文章が更新されていく。
そこに、読者(視聴者)は、感想などをどんどんコメントなどを投げていく。
オンライン朗読会
読書会ではなく、朗読会でも面白いそう。
実際、どこかで行われているかもしれない。
朗読者を映像として映しながらも、本文も表示させて、朗読を聞きながらコメントを投げていく。
仮に朗読者が、読み間違えたらそこにツッコミが入って盛り上がるかもしれない。
泣きのシーンでは思わぬ感動のコメントが入るかもしれない。
また、たとえば115ページの3行目を引用して、SNSに投稿できたり。
そのリンクをたどれば、すぐにそのページを見ることができるし、朗読会場の雰囲気も伝わり、コメントも見ることができる。
まとめ
ニコニコ動画の本版といったところを想像してみました。
紙の本は、読み方はもう完成されてしまっていて、これ以上新しい読み方はないような気がする。
だが、電子書籍やオンライン上のテキスト媒体では、まだ新しい表示方法も考えられるはずだ。
その表示方法から、生まれる新しい新時代Web文学表現も生まれてくるに違いないと確信している。