一文物語365 2017年9月集
一文物語365
1
喧嘩で彼女に馬乗りにされた彼は、そこにあったたい焼きを口に押し込まれ、バカバカしいと食べ始めたら、激辛で悶絶した。
2
その作家は筆を取ったが何も書き出せず、アイデアをもらおうと友人に電話をしたが、出てもらえず、気晴らしに散歩に出ようとしたら、ドアが開かず、風呂に入ろうと水は出ず、トイレにこもってみたが何も出ず、唯一出せた言葉が、出ない、という叫びだった。
3
少女が、マッチいりませんか、と火をつけて売っている。
4
石庭の中央に封印石が立てられていたが、翌朝、その石が倒れていて、辺り一面海が広がり、朝日が昇る。
5
少し前にたくさんのセミの抜け殻を見つけてはしゃいだが、少し静かになったと思えば、魂の抜けたセミをよく見かける。
6
どこからともなく転がってきたドラム缶を開けたら、大量のセミの抜け殻が入っていた。
7
繋がったフォークとスプーン、取っ手が交差している二つのマグカップ、一揃いしかない箸を使う彼女は、一生離れないのだと、いかなる時も彼と腕を組んでいる。
8
使われなくなったモノが集まるモノノハテに流れついてしまった彼は、巨大なすり鉢にモノと一緒になだれ落ちる寸前の少女を助け、物はいくらでもあるので暮らすには不自由はなく、時折すり鉢から届いてくる悲鳴を聞きながら、人生の果てまで二人はそこで過ごしていった。
9
普通の人々に祈りを捧げさせている間、聖人はいびきがうるさい隣の住人を呪いにかけている。
10
満足を超えるほど評判のスパゲッティがあるお店にいくと、みな、伸び続けるスパゲッティを口から一本垂らして倒れている。
11
綱渡りをしている男の影が、男をあらぬ方向へ引っ張り始めた。
12
魚が大好きな子供は、もっと食べたいと自ら海に出てつかまえようと、海の水を抜き始めた。
13
夕刻、赤く水面が漂う岸辺で、一人勝利を収めた戦士が涙で血を洗い流していた。
14
偽のブランド品の財布にお金を入れていたら、偽物になっていた。
15
キスはおろか、パートナーと口を聞かずにいたら、口が錆びついてしゃべることができなくなっていた。
16
一度愛した人を愛せなくなってこっそり別の誰かを愛し、見向きもされなくなったら、遠くの誰かに、愛してくれよ、とミサイルを撃つ。
17
魔法使いと名乗る者が隣に引っ越してきてからというもの、家のものが頻繁になくなり、ある時、台所にいたはずなのに、気づいたら真っ暗な箱の中にいて、箱が四方に開くとステージ上でスポットライトと拍手を浴びていた。
18
笑顔でも強面に見えて決して誰にも近寄られない彼は、感情を読み取って開く花を胸につけ、常に満開で一人街を歩く。
19
天井にまで届きそうな長い箒を持った少女が、まだ空が飛べないのか、朝の満員電車に乗っている。
20
物がなくなって泣く子供に、幽霊さんが隠しちゃったのかもね、と夫が言っていると、幽霊が住まわせてもらっているお礼にお金を差し出し、後にへそくりが消えたと妻が騒いでいる。
21
彼は、昔好きだった彼女が小説家として書いた物語の中で、明らかに自分に好意を寄せていたように甘く切なく書かれたページを穴が空くほど繰り返して読んでいる。
22
生涯をかけて架空の街を緻密に描いていた彼は、未完成のままの絵の上で力尽きてしまっていたが、架空の街の中心の小さな部屋で架空の街を緻密に描く青年をちょうど描き終えていたところだった。
23
水性インクで書かれた恋文は、涙で消えかかっているがもう必要ない。
24
丸一日の仕事を終えてクタクタに疲れていた彼女は、駅のホームの一点に眩しく輝くものを見つけると、それはゴミ箱に捨て突っ込まれたバラの花束で、せっかくならとそれを持ち帰って、風呂に浮かべて癒しのひと時を過ごした。
25
ほとんど喋らない彼は、言葉を発する前に必ず咳き込んで、自分の中に降り積もった言葉の埃を払いのけ、煌びやかな一言を残して、静かに笑う。
26
その日の夕方に首を切られた彼は、このまま気持ちも未来も世界も真っ暗にさせてたまるかと、帰る道を逆に進み、沈みかけた夕日を釣り上げに行った。
27
連れあった相手が先に旅立ち、悲しみの谷底に沈んでいると、天より差し降りる光に導かれるも崖の上で止まらぬ涙が美しい滝となり、未だに泣き続けている。
28
思い出を棺に詰めてくれ、という故人の遺言で関係者にも協力をお願いしたところ、みな棺に入りたがっている。
29
切っても切っても伸び続ける髪の少女と付きっ切りの理容師は、時が進むにつれて切っても切れない間柄になっていた。
30
鎖や鉄の手錠が散乱しているが、人の痕跡は一切なく、数々の裏切り者が姿を消す島に置き去りにされた彼は、その晩、陸上に未練がないのなら、と浜辺で人魚に声をかけられた。
一文物語365の本
2017年9月の一文物語は、手製本「舞」に収録されています。