書いていた小説を途中でやめた理由【言い訳?】
2020年から2021年3月まで書いていた小説を、途中で書くのをやめてしまいました。
もともと遅筆ですが、いつも以上になかなか書き進められず、断念しました。
やめようと決断した時にわかったのは、自分都合で書いていたこと。「読者のことを考え」て書いていたつもりでした。
しかし、読者のことも作品も、自分の間であまりにも迷いながら書いていたことがわかりました。
そして、「読者のことを考えて書く」とはどういうことなのか、現時点でわかったことを書いています。
違和感の正体、自分都合との狭間にて
書き進めるなかで、常に違和感がありました。
その正体がなんなのか。
最後になって、自分都合で想定していたターゲットとかみ合わないんだなと感じました。
書く意識がフラフラして、一方向に定まっていなかったのです。
文体を変えたのは、完全に自分都合
文体を変えるために、書いている途中で最初から書き直しました。
書き直していた当初は良かったのですが、まただんだんと違和感を感じるようになりました。
最初に書いていた時は、想定読者をしっかり見ていたように思いました。
ただ、その読者に向けた形で書いた文体も、自分の中に違和感があって、数話書いてからなかなか書けない期間がありました。
それで、いつもの文体に戻しました。
結局、文体を変えたことで、想定読者から作品が外れてしまったと感じました。
それ以前に、内容も外れていたという事実も理解しました。
最後まで書かずに終えようと思うのは初めてのこと。
更新せずに終わらすのも、なんか嫌だったので、とってつけた形にはなってしまいましたが、最終話をつけて終わらせました。
中途半端な自分都合は、何にもならない
ふりきって、こういう作品を書くんだという自分都合で書いていれば、たぶん最後まで書けていたのでしょう。
そういった作品が読んでもらえるかは、別の話です。
今回は、今までとは違ったターゲットに定めて、そこに向けて書いていました。
しかし、自分はそうじゃなく、今まで通りの作品を書きたいと思ってしまっていた。
それが文体を変えるという方向転換になったのだと思います。
方向転換したことで、最初に考えていたターゲットからは当然外れます。
それでも、当初のターゲットに向かって書いているので、自分の中ではチグハグで、結局どうしたいのかわからなくなりました。
読者のことを考えるとは
小説に限らず、文章を書く際には、よく「読者のことを考えろ」と言われますよね。
もちろん、みんなそういう意識で書いてはいると思います。私もそうです。
今回のことで、「自分都合で書いていた」ということだけは、はっきりと理解できました。
まだはっきりと、「読者のことを考える」ということが体に染み込んではいません。
「読者が読みたいもの」に置き換えることができるかもしれません。
もっと読者に寄り添うとはどういうことなのか、考えて行かなければならないと気づきました。
まとめ
小説をなかなか書き進められずにいるなかであった違和感。
自分の迷いでした。
どこに向けてどう伝えたいのか。すべて自分都合でやり通すところに、自然と制御をかけていたように感じました。
「読者のことを考える」
「読者が読みたいもの」
今後は、それらを意識しながら考えていこうと思いました。
この作品を書かなければ、改めて気づき、意識しなかったことだったと思えます。
いい経験をしました。