6-4.闇の底の希望 [小説 理想水郷ウトピアクアの蝶]
ほとりは、良夜を水の羽で包み、黒い湖の中へ。闇の中で砕けたガラス片が光る。
湖底に突き刺さった筆を見つけ、二人でやっと引き抜いた。しかし、湖底に穴が空き、吸い込まれてしまう二人。
透明な羽を持つ者
ほとりは、良夜の家を出て、また湖畔に向かった。
「筆を探すって、まさか、この黒い湖を潜って探すとでも」
良夜が、冗談のような行動を取ろうとするほとりに、冗談で聞き返した。
「はい」
ほとりは、その通りだと即答する。
ゆったりとした黒い水の波打ち際まで来たほとりは、指で首の裏筋をなぞり、羽を出現させた。
「透明な羽か。まさかとは思っていたけど、予言の子というのは本当のようだね」
さっきまでほとりの語るこれまでの話に興味がなかったように見えた良夜が、感心したように言った。
「あの、何が本当なんですか?」
「予言の子ということが、さ」
意味深く口角をあげた良夜を見たほとりは、首をかしげた。
「その透明な羽をもった蝶人を一人だけ知っている。でも、彼女は、飛べていたけどね」
「その蝶人って……私が、どう関係しているですか?」
ほとりは、薄々勘づいていたが、それがこれから先どんな意味を持っているのかわからなかった。
「さぁ、私なんかにわかるわけないよ。でも、意味があるから、ほとりはその羽を宿して、セリカ・ガルテンに呼ばれた。
時がくれば、その意味もわかるんだろうけど、時の止まったここでは、どうかな」
良夜は、本気なのか冗談なのかわからないように笑っていた。
「それで、その羽で、どう筆を探すの?」
ほとりは何も答えられずについると、良夜が聞いてきた。
「この羽、便利なんです。良夜さんも水中散歩に行きましょう」
ほとりは、良夜とともに羽で包み込んだ。
良夜の過去
黒い湖に潜る。水中は、当然のように暗い。
水の流れはほとんどないように感じられた。
ほとりは、意識を下へ下へともっていくと、二人を包み込む水の球は、さらに沈んでいく。しかし、一帯は闇のまま変化がない。
「ほとり、何か光ってる」
良夜が何かを見つけたのかと思った。しかし、良夜はほとりが肩から掛けている砕けたガラスの入った袋を指摘した。
剣を刺されて空いた袋の穴から光がもれている。
ほとりは、砕けたガラスを手に取ってみると、それは強い光を放っていた。どこかにあるクリスタルと反応しているのかと思ったが、見渡す限りそんなものはない。
良夜にも光り輝く破片を渡し、別々の方向にそれを明かり代わりに照らす。
「この闇の中にいると、元の世界の自分の部屋を思い出すよ」
突然、良夜が話し始めた。ほとりは、耳だけ良夜の声に傾けた。
蜘蛛手家に女が生まれてしまった。女は必要がなかった。呪われた女家系の
良夜が生まれてすぐ殺そうと話もあったが、時代の進み具合もあって、そうはできない事情もあり、仕方なく蜘蛛手家は良夜を生かすことになった。
良夜には兄が一人いた。しかし、彼は高校生の時に行方不明になり、生死がわからない。良夜が女であったことで、両親からひどい仕打ちを受け続けた。
幼少期からの扱いは、いっそうひどくなる。食事は一日一回。学校にも行けず、ずっと暗い部屋に閉じ込められていた。
自然と絵を描くようになり、唯一、それだけができた。
夏が始まってすぐ、暑い部屋の中で、水を与えられず、幼い良夜は意識を失った。
次に気づいた時は、セリカ・ガルテンとなる前身の島にいたと語った。
「語っちゃってごめんね。今の今まで、元の世界のことなんて忘れてた。私、こっちに来てからの方が、楽しく生きてこられたんだよね。
楽しく自由に絵を描いていたのにね」
湖の底に到達し、わずかに沈殿していた砂が舞う。
その先で、湖底に突き刺さる棒状の物が、ほとりの視界に飛び込んできた。
底抜け
ほとりは水の球を近づけ、ガラスの破片の光を当てる。
「あれですか?」
「たぶん、そうだろうね」
筆先は砂に埋もれて、持ち手半分ほどが見えていた。
湖底に到着して、砂や沈殿物に埋もれて、正直見つけられないのではと、半ば思っていた。
水の球を移動させると、筆の柄が球を突き破って中に入り込んでくる。しかし、水は入ってこない。
「まさか、ずっとあり続けていたなんて。また筆を握りたい気持ちが湧いてきたな」
良夜はかがんで、握っていた跡すらまだ残っている筆の柄をまじまじと見つめた。
「そうかー。ずっとここにいてくれたのか」
「ぜひ、それで描いてください」
良夜が筆を握り、抜こうとする。
しかし、抜けない。腰を落として両手で握って、引っ張っても抜けない。
ほとりも良夜の手の上から握り、いっせいのせで、筆を引き上げる。
一瞬、わずかに引き上がる感覚があった。
――いける。
二人は、瞬時にそう思って、さらに力を入れてそのままいっきに引き抜いた。
二人は、しりもちをついた。
良夜の手には、しっかり筆が握られていた。
ほとりと良夜が目を合わせて、互いに笑顔を見せる束の間、黒い水に流れが生まれていた。
筆を抜いてできた穴へ、黒い水が勢いよく吸い込まれていく。しだいに穴がどんどん広がって、ブラックホールかのごとく大きく口を開けて、水を飲み込んでいく。
ほとりは、両手を左右に広げて羽に意識を送る。しかし、黒い水にいっさい自分の意識が伝わらない。ニタイモシリの川のように制御しようと思ったができない。
それどころか水の球も制御できず、ほとりと良夜は、あっという間に、大量の黒い水とともに、穴へ吸い込まれてしまった。
ぐるぐると水の球は回転し、ほとりと良夜も体をぶつけながら、回った。
気づけば、二人は水の球の中で仰向けになって倒れていた。
体を起こして辺りを見渡すと、様々な青の色を見せる海の底のような場所だった。
紺碧、コバルトブルー、藍色、紺青、群青、浅葱色とゆっくりと色形を変え、その表情が流れ移ろっていく。
「ここは……」
静かな水の世界に、声がわずかにゆがむ。
――理想水郷を救う意志は、お主にまだあるか?
太く低い声が聞こえてきた。
しかし、辺りにはほとりと良夜以外、誰もいなかった。
6-5.ルサルカの少女と精霊