一文物語365 2016年5月集
一文物語
1
ポケットの中に、魔物と化した糸くずが生息していた。
2
捕まった似顔絵師は、幾千も自分の顔を塗り替えてきて、どれが自分の顔なのかわからなくなってしまい、独房で唯一本物の涙を流した。
3
弱みを見せまいとヤドカリは、鋭く尖った貝やハリが突き出す貝、硬質な貝、丸くスベスベな貝、どこが入り口かわからない入り組んだ貝と殻を転々と変え、ついにどれにも勝る青く輝く美しい地球の殻を背負おうとしたら、潰れた。
4
存在が灰色の彼は、何もない真っ青な空に浮かび上がったことで注目を浴びることになった。
5
胸に手を当てたところで何も聞こえてこないので、聴心器を開発した。
6
心の声を聞こうと、胸に手を当てたらひっぱたかれた。
7
その詩を詠むと作家の女詩人の気持ちに取り憑かれて愛してしまうが、女詩人の歩いたあとには死人が倒れている。
8
喧騒を逃れて何もしない、とその場に寝転んだ女は、空虚な時間に耐え切れず、針で指先を突っついている。
9
氷の板に目が貼りついて、恐怖ではがせない。
10
余分な脂を削ぎ落として、骸骨がすっきりとした顔で湯釜から上がってきた。
11
あ、そのバナナを踏むと、食べれなくなります。
12
時々いなくなる隣の女性社員は、緑臭が充満する山を駆け回り、谷間を流れるさわやかな川を飛び越え、くすぶる炭の上の釜ゆげを想起させるスプレーをビルの上からまいている。
13
少女は暖炉の前で、使い切って空になった色えんぴつのケースに、ほとんど使っていない白えんぴつの隣に骨をきれいに並べ入れる。
14
晴れた日にボルトがひとつおちてきて、空がおちてきた。
15
一人の犠牲が世界を救うという神の言葉に誰も名乗りを上げず、世界の滅びを人類が受け入れたことに感銘を受けた神が命を捧げた。
16
その後日談として、神への祈りが届かなくなった。
17
世界のはしっこを探しに大海原の隅っこまで航海してきたが、彼の船は海から落ちそうになっている。
18
病院の霊安室から続くその列をたどって行くと、手術室へと到着し、ちょうど過労死した医師が運ばれていくところで、列はさらに診察室、駅、家、社会へとつながり、閻魔大王の前にたどり着くと、君も並ぶようにと審判を下されて、分娩室で産声をあげることになった。
19
褒めると伸びるタイプだというやつを褒め続けたら、とろけていなくなった。
20
人を題材にした絵本シリーズを描き終えた作家は、金魚の物語を描き始め、一匹描くごとに水槽の中にいる金魚がいなくなっていく。
21
心の中で警報音が鳴り止まない彼女は、部屋どころか布団から出ることすらできないが、音を聞きつけて見知らぬヒーローが助けに来てくれることを想像している。
22
ひからびつつある海の底でクジラがのたうちまわり、とうとう羽を生やしてしまった。
23
女性がトイレの個室で困って泣いていると、隣の壁から黄ばんでカピカピの包帯がするすると降りてきて、よかったらこれを使ってと、ミイラの優しさにさらに涙が止まらなくなった。
24
草刈機は陽気に死の宣告をハミングしている。
25
崖の先に一人分だけの柵があり、誰もその柵をよけることができない。
26
名前を隠したい、消したい人が、名前を必要としない星に行ったら、全員同じ顔だった。
27
人が地に足をつけず宙に浮かんで移動し、靴の概念がなくなった時代のオートメーション化された工場の片隅で、わらじが発見され、二足歩行原始人のタイムスリップが雲ノ都市で話題になっている。
28
若くして妻を失った作家は、次第に話す言葉が減っていく一方で、どんどん綴る文字数が増えて、終いには無口となってしまい、字面がうるさくなった。
29
心からの叫びをまとめた本に耳を当てた。
30
く、苦しいと、体内から鋭利な刃物の叫び声が聞こえる。
31
渡り鳥が空飛ぶクジラに追いかけられて、SOS編隊で宇宙幻想ケモノ警察に助けを求めている。
一文物語365の本
2016年5月の一文物語は、手製本「雲」に収録されています。