その時の思い出を写真に収めるべきか、記憶にだけとどめておくべきか
今は、スマホでもデジカメでも簡単に写真が撮れて、なんとなくその時のことを記録できてしまう。
写真とは
自分は、ただなんとなくでその時を切り撮ることはしたくないので、スマホを持っていても写真を撮ったりしなかった。
いままで、あとで見返したいと思うこともほとんどなかった。
とりあえず、撮る、みたいなことはできない。
だから、本当に、コレは、とピンときたものした写真を撮らなかった。作品として狙って、撮っているわけでもないけど……。
物事を覚えることに限界があることはわかる。
でも、写真をただの外部記憶みたいに使いたくないと思っている。印象的だったものは、きっといつまでも脳に残るだろうと考えている。
写真を撮ったから、もう安心。
何かあった時に見返せば記憶は蘇るでしょ。
「今」という時間を簡単に消費してしまっているようにも思える。
どうもそれが嫌いのようだ。
後悔
でも、昨日のことは、なぜだか写真を撮らなかったことを後悔している。
昨日は、一文物語の絵を描いていただいた高枝鋏さんが参加しているグループ展「Fantasia 2017」を見てきた。
最終日ということもあり、参加されていた作家さんたちが在廊されていた。
お客さんもいて小さな展示会ではあったが、とても賑わっていていい雰囲気が出ていた。とても素敵な空間だった。
なぜだか、その会場の一コマを写真に撮っておけば良かった、と家に帰ってきて後悔した。
自分にとって、かなりピンと来た時だったのかもしれない。
また同じ作家さんたちが集って、同じ作品を飾ることはないだろう。
そもそも会場での写真撮影が可能だったかはわからない。でも、撮っても大丈夫か、それくらい聞けばよかった。それすら後悔している。
会場の中央には、コットンをたくさん使ったアートがあり、すっぽり被れる服のようなものと帽子も置かれていた。体感型アートの説明文があった。
ふと、そこででしかできないことをしておくのもありだったなと、後悔した。
気持ちの変化
いままで、深くそこまで思ったことはなかった。
あまり自分のことが好きではなかっり、そんな自分が写真に写ること自体も好きじゃない。
でも、最近はそんなこともないと思い始めてもいる。
この気持ちの変化はなんなのだろうか。
はっきりとした理由はわからないけど、せっかくの機会を記憶と写真におさめてもいいじゃないか。