応援とばかりに文句・ケチばかりつけている人に嫌悪感を抱く裏に、感情を振り乱して頑張れと応援したい自分がいた

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応援する人々

平昌オリンピックがもう終わりますね。

私は、結果をテレビやネットで見るくらいで、リアルタイムで見ることはほとんどありませんでした。

私は、勝敗はあまり気にしません。しっかり戦っていれば。もちろん、勝ってくれれば嬉しいですけど。

たまたま人とテレビで試合を見ることになり、応援の仕方で、とても嫌な気持ちになりました。それだけでなく、怒りすらも覚えました。

どうして、そんな気持ちになったのか、掘り下げてみたいと思います。

目次

文句ばかりの応援は、応援なのか

特に、日本代表戦となると、テレビで中継され、顕著になるのが、個人個人の応援の仕方です。

テレビの前で見ている時などでしょうか。

人が変わったように、突然難癖を付け始めたり、だから勝てないんだと、展開と実力を先読みして結論づけたがる人がいます。

そういう場面を見てしまうと、私は心がそわそわしたり、嫌悪感に襲われます。

なぜ、素直に頑張れと応援できないのか。

そんなに文句ばかり言うなら、見なければいいのに、と思います。

そこまで言うなら、ご本人の前でアドバイスすればいいのに、とも思います。

そう言うことって、戦っている選手やスタッフ陣が一番わかってるんじゃないかと私は思っています。

文句を言う人に嫌悪感を抱く私

文句を言っているのは、私ではない。
文句を言われているのは、私ではない。

なのに、なぜか私が嫌悪感を抱く。今回だけでなく、こう言うことが何度かありました。

「いつの間にか、私が一緒に見なければいい。結果だけ、わかればいいや」

そう思うようになっていました。

これは推測ですが、文句は言い続けても、勝ってもらいたいのが本音なんだと思います。

であれば、素直に頑張れ、と応援できないのか。最後まで見守ってあげられないのか。

どうも、私の中には、そこに引っ掛かりがあるんだと思います。

感情を振り乱して、声を枯らして応援したいと気づく

本当は、私は、そう言う風に熱く応援したかったんだと気づきました。

文句を言うのではなく、素直に頑張れと言って、旗を振るなり応援したいんだなと。

負けたら、選手たちと同様に残念な気持ちになりたかったんだと思いました。

言いたいことを言うと決めた私は、他の人が何を言うことも許可する

もう一つ気づいことがあります。

私は、このブログや小説に、自分の言葉を書いています。もちろん、会話をする時も自分の言葉を口にしています。

自由に言葉を使っています。

だから、他の人も自由に言葉を使って発言をしていい。

私は、そのことを自分で認めていたはずでした。

でも、今回の件で、まだ完全に認めらていなかったんだなと、気づきました。

文句を言って応援?するのも、自由なのです。

きっと、私が熱く応援したいのを我慢しているのだから、あなたも文句を言うのをやめろ、と思っていたのです。

改めて、この体験をすることになり、自分が許可していなかったことに気づきました。これに気づき、気持ちが楽になりました。

自由に発言していいのです。

まとめ

応援の方法は自由ですが、できれば気持ちよく応援したいものです。

今回のことを通して、冷静に熱く応援して行きたいと思えるようになりました。

もし、今回と同じような場面に遭遇しても、私は落ち着いていられると思えるようになりました。

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