一瞬のやめる決定

草葉の中の黄色い花

やめていたことを再開するために、1ヶ月ほど準備をしていた。あと少しで再スタートするところまできていた。

突然、それを「やらない」と、頭の中に声が聞こえて来た。「やめろ」的なニュアンスで、とにかくそれ以上進んだら、戻れなくなるといった風の警告が降りてきたように思えた。

その瞬間には、理由はわからず、考える時間もなく、自分の心が「やめよう」と決定していた。自分の思考が追いついたときには、すでに「やめた」決意をしていたくらいだった。

自分自身、その決意、決定に反論もない。

「あっ、これはやめたほうがいいやつだ!」と、直感して、納得していた。細かい理由もわからないままに。

準備してきて、再スタートする楽しみもあったのに、一瞬の決定で再スタートすることをやめて、実はスッキリもしていた。すごくラクな気持ちにもなっていた。プレッシャーとかを受けていたわけじゃないけど、再開することに何かしら感じていたのかもしれない。

やらない決意をしてから少したって、どうしてそんな閃き的、一瞬の決定が降りてきたのか考えてみた。

再スタートする物事の影に、本当にやりたいことが隠れているのがわかった。たぶん、それがひょっこり影から顔を出したんだと思う。別に、それを忘れていたわけじゃない。あとあと、それもやるつもりでいた。

でも、再スタートしてしまったら、たぶんなおのこと、本当にやりたかったことがどんどん後回しになっていたと思う。いや、確実にそうなっていただろう。

やっぱり、本当にやりたかったほうをやらないとダメだと思えた瞬間でもあった。

正直、本当にやりたかったことは、お金につながるかどうかもわからないことなのだ。それに比べて、再スタートさせることのほうが、お金になりやすいと思っていた。少しでもお金を得ながら、徐々に本当にやりたかったことをはじめていくつもりだった。

しかし、神だか自分だか、そうするな、と言ってきたのだ。

表面的な自分は、再開するつもりでいたのに、世界が引っくり返ったかのように、一瞬で自分の意見が反転してしまった。

このタイミングでこういったことが起きたことには、きっと意味があるように思う。あとになって、その意味がわかるのかは不明だけど、本当にやりたいことをやっておかないといけないんだと思えた。

過去の経験に導かれたとするならば、もし、再スタートしたら、身体やメンタルに影響を及ぼすことになっていたのかもしれない。

結局、再スタートさせることはなかった。再開に向けて準備してきたものは、ぶっちゃけ表舞台に出ることはなくなった。それでも、そこに後悔みたいなものはない。その間に得た新しいスキルや知識は、これからのことにも使っていける。再開準備してきたこと全部がムダになったわけではない。

閃きのごとく、一瞬のやめる決定が起こるまでのことすべてが、本当にやりたかったことをやるための準備期間だったのだろう。

これから本当にやりたかったことがスタートする。

草葉の中の黄色い花

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