裁判員を経験して、被告の再出発を鑑みるという視点を学び、両者の立場を考えるようになった!
私が裁判員に参加したのは、2014年。
ある日、裁判所から封筒が届き、最初は自分が何か悪いことをしたのか、記憶を思い返しました。
裁判員の候補者に選ばれた通知でした。その後、正式に選任されて裁判員裁判に参加しました。
なぜ、今になって、裁判員に参加した時のことを書こうと思ったのか。
裁判員の辞退者が増えているという記事を読んで、私が参加して思ったことを伝えようと思います。
積極的に裁判員を引き受けてほしいと言うつもりはありません。
しかし、紹介した記事にもあるように、裁判員を実際に経験してみると、私も良かったと思っています。
参加を終えていただいたもの
修了証のような文書とピン。
私の住んでいる地域では、一生に一度あるかないかくらいの確率で、選ばれるのだそうです。
大まかな流れ
まず、裁判員の候補者に選ばれた通知と書類が届きます。質問書類を送り返し、さらに候補者が絞られます。
裁判所で、選任手続きをします。機械によるくじびきです。
最終的な、辞退希望有無、辞退理由などを聞かれて、裁判員に選任されます。
辞退には、それ相応の辞退理由が認められないといけません。
駄々をこねれば、辞退できる?
口頭で辞退に関するやりとりをする場面がありました。
私は、辞退する理由はありませんでした。内心、辞退できるならしたかったですが、辞退できる正当な理由はありません。
1名、辞退を希望される方がいたのですが、その場では辞退理由は述べなかったのですが、担当者と候補者が別室で、話をされたようです。
その場でも、なかなか話が折り合わなかったようで、最終的には、その方は辞退できたのですが、裁判担当者の方はだいぶ困られていた印象です。
きっと辞退理由としては認められないが、頑なに参加したくないと言う意思が強かったのだと思います。
5日間の裁判員
私の場合は、半日と平日の連続4日間の計5日間、裁判所に通い、裁判員をさせていただきました。
事件内容によって、2週間やひと月あるとも裁判官の方から聞きました。その場合は、連続ではなく、指定日があったりと、まちまちのようです。
確かに、拘束期間や仕事や生活への配慮が問題に挙げられています。
5日間といえど、短かったような長かったようにも思えます。
事件に重いも楽もない
私が担当した裁判は、子供の誘拐未遂事件でした。
殺人事件は、写真を見たり、いろいろ大変だろうと憶測していました。誘拐事件と聞き、当初はホッとしていたのが感想です。
でも、防犯カメラの映像や事件の証拠となる写真を見たり、まとめられた文書を読むと、心に重くのしかかってくるものがありました。
被害に遭われた子供やご家族のことを考えると、たとえ殺人事件でなくても大変な思いは変わりありませんでした。
被告の再出発を鑑みるという視点
罪を犯してしまった被告は、罰を受けることは当然ではあるのですが、そこに再起できる思いを含めるという考えがあるとは思いませんでした。
罪に対して、決められている法律の指定する範囲で判決を決めます。
それをどのくらいのものにするのか、裁判員、裁判官の総意になるのですが、これを決めるのが一番難しかったです。
被害者のことを考えれば、できるだけ重く長い刑期である方がいいと思っていました。
罪を犯してしまったことは決して許されることではありません。しかし、たとえ罪を犯してしまったとしても、被告の反省態度や裁判に向かう姿勢も考慮した上で、刑期を考えます。
ここで、私は被害者と被告の間で、葛藤します。単に中間点でと安易には決められません。
被告がまた社会で生きていくことについても考えさせられました。人として生きることとは、と。
被告の印象
初めて法廷で、被告を見たときの印象を今でも覚えています。
それは、「どうしてこんな普通の人が事件を起こしたのか?」でした。
事前に渡された資料に顔写真はなく、名前だけで、被告の顔を想像していました。きっと悪い人なのだと勝手な印象を抱いていました。
しかし、法廷で見た被告は、普通の人でした。
ニュースなどで見るいかにも罪を犯した感じが、全く感じられなかったのです。
私は、いかにニュースで見る映像に影響を受けていたのかと改めて感じました。元は、社会で普通に生活していた人なのです。
裁判員を経験したあと、両者の立場を考えるようになった
裁判員を経験をして、一つ考え方が変わったことがあります。
両者の立場を考えるようになったことです。
事件でいえば、被害者と加害者。これは、事件においてだけでなく、普段の生活でも対立場面や、自分と他者のことにでも置き換えられます。
なぜ、相手はそういうことを言ってくるのか。単に自分一方からではなく、別視点を持つことを強く意識するようになりました。
ニュースの印象が変わる
裁判員を経験して、ニュースで流れてくる他の事件や判決を聞くと、第一印象で刑が軽い重いと感じることがあります。
そういう時は、きっと表には出てこない裁判員、裁判官の葛藤や考えがあるのだろうと思うようになりました。
被害者への思い、被告への思いが含まれた上での結論なのだろうと考えます。
まとめ
裁判員裁判は、普段届けられない、ごくごく普通の気持ちを伝える場所でもありました。
話し合いは、様々な垣根を越えた方々と、正直に話し合える空間でした。
どんな事件を担当しても、きっとそれは変わらないのだと思います。
裁判員裁判として、手渡される資料もしっかりまとめられ、かつわかりやすいものでした。検事、弁護士、裁判官様々な方々の努力があったのだろうと感じました。
その上で、何を感じ、伝えることができるのか。
そして、最終的に、自分を考えさせてくれた機会となりました。