自己否定2018-できなかったことができたのに、理想の自分ではなかったことで、自分を認めることができていなかった。

花火をバックに立つ男

先日、受けたワークショップで、声を出して、ことばを相手に伝えるワークがありました。

声が、からだから出ていなかったこともあり、いろいろとワークをさせてもらい、良い形になりました。

それがついに、出来て、そうだと言われて、拍手をもらったのです。

でも、私の中では、出来たとは思えず、むしろ違和感を覚えていてそんなはずはない、と思ってしまったのです。

自分が想像する理想でなければ、自分を認めることができていなかった、と感じました。

その時か、その晩の夢の中で、ある幼少期の記憶が蘇ってきたのです。それは、今回のことがほぼ同じ感情で重なりました。

もうこの頃から自己否定や、自分を抑えることをしていたのだと思いました。

目次

幼稚園時代に、人前に立つことを嫌だと思うようになっていた

幼稚園の時、みんなと演奏する中で、私はドラム(スネアドラムのような楽器)を演奏するのですが、リズムが合っておらずなかなかできずにいました。

練習して、最終的にはできるようになって、嬉しくなって泣いていたの覚えています。

この時、嬉しさだけでなく、出来なかったことの恥ずかしさ、泣いている恥ずかしさ、しかも人前という状況が重なってか、こんな姿を人に見せたくないと思いました。

先生にもクソ褒められていたはずなのにです。

人前で、できなかったことができるようになる。それは、自分がダメであったことを証明しているように思っていたのかもしれません。

まさに、この状況が、ワークショップと重なったのです。

できなかったことができて、嬉しいはずなのに、素直に喜べない自分がいて、そんな自分を人に見せたくないと気づきました。

進化の過程

今でこそ、ブログで執筆の更新記録や自分の感じたこと、自分の変化を記事として書いています。

変化する喜びを知ったつもりだったのに、まだ、つもりのようでした。

知らない自分に出会うことを新鮮に感じていたつもりでしたが、自分の範疇を超えた自分に出会うことを恐れていたのだと思います。

見えない先で知る、知らない自分に出会う恐怖

自分が想像できていない自分に出会うことを怖いと、ワークショップの時に思いました。

できないことができた時、知らない感覚と出会うことが、無意識的に怖いと思っていたように思います。

箱の中に手を入れて、何が入っているか当てることに近いような。

ワークショップの時、やってみたそれがそうだと言われたにも関わらず、自分の中では違和感と怖れで、認めることができませんでした。

できないことができるようになること

よくよく考えてみれば、以前、私がパソコンに関することを人に教えることが時々あって、その人ができるようになって行く姿を見て、私は嬉しかったと思っていました。

それが、逆の立場になってみると、変な話です。

できないことができるようになって、嫌がる人は少ないでしょう。その姿を見ても、決して嫌な気持ちにはなりません。

ただ、私が想像するような形ではなかっただけで、いいと思われ、拍手をもいただいた状況を否定するのは、なんて失礼なことだと思いました。

そして、できるようになった時、想像を超えて恐ろしい何かを持ち合わせる自分にも出会うことを学びました。

できないことができるようになることは、変化である。また、変化することはある種の怖さもある。

それでも、やるからこそ、できるようになるのだと思います。

自分の想像が崩れた時に、現れる想像できない想像と向き合う

想像には、二種類あるように思えます。

一つは、自分の中にある、想像して、でき上がって行く想像。

もう一つは、自分の想像が崩れた時に、現れる想像できない想像。

今回の出来事は、後者であり、恐怖とも向き合う必要になります。想像できないのですから、どんな形であれ、向き合う覚悟が必要なのです。

今まで、それと向き合う姿勢が、自分にはなかったのだと思います。

自分の想像の範疇内でおさめたかった私がいて、極端に満たされない場合と、それを超えた場合は、認めないと思っていたことに気づきました。

本当は、私という自分を外に出したかった

幼稚園の時も、ワークショップの件も自己否定があった内容ですが、それらの裏には、本当は、私というものを外に出しかったんだと、思いました。

そうでなければ、ブログで自分のことや思ったこと、経験したことを書こうとは思わないはずです。

ましてや小説を書いたり、想像を形にしたいとも思わないでしょう。

まとめ

できないことができるようになることは、嬉しいこと。

時に、自分でも想像していない自分に出会うこともある。その時、違和感や怖れを感じるかもしれないが、それらと向き合う覚悟を持つ。

きっと、そこでしか見えない景色があるはずである。

根底には、私という自分を外に出したかった気持ちがあったことに気づきました。

素直に受け止め、自然体でいられるようにして行きたいです。

また、偶然なのか、当ブログのサブタイトル「想像力が自分の人生を物語る」にもある「想像」と向き合う、もしくは出会う、考えさせてくれる機会にもなりました。

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この記事を書いた人

水島 一輝

水島 一輝

一文だけの小説も書く小説家。毎日1つ一文で完結する物語を書き、5年目1700作を超え、今も続く。Webデザイン業を経て、中学生時代から物語を書いて暮らしたいという思いが忘れられず、実現すべく作家活動を行っている。ファンタジー小説をオンラインで更新し、手製本を手がけて作品販売も行っている。

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