SNSをやめた本当の理由とその後
SNSを休止して1週間。スッキリした心持ちでいられるようになった。
SNSを休止したといっても「投稿」をしないだけである。必要があれば見たり、調べることに使用する。
ただ、自分のタイムラインは見ないようにしている。
誤ってフォローしている投稿を見てしまわないようにすべてミュート、非表示にもしている。
それほどのことをして、SNSから距離を置こうとやめた理由をあらためて解く。
SNSを休止した本当の3つの理由
理由1:反応がない
創作活動をしているので、できれば多くの人に知ってもらいたい。
そんな理由でSNSを使っていた。
しかし、投稿しても自分が求めるような反応はなかった。
SNSの投稿内容より、その創作物に魅力がなかったのかもしれない。創意工夫をしながらSNSをやっていたが、何もならなかった。
もっと続けていればいつかは、と思っていたが、続ければ続ける分だけ苦しくなる。
他にも理由があってSNSをやめた。
理由2:他人と比較してしまう
他人と比較しない、嫉妬しない意識を持っても、SNSを見てしまうと、少なからず自分と比較してしまう。
その比較を自分のモチベーションや活動のエンジンに転換できればよかった。
でも、それができなかった。
他の人の投稿を見てしまえば、モヤモヤがわき出だしてきて、気持ちが沈んでしまう。
そこに「理由1:反応がない」も重なり、何の反応もなければなおさら自分の行為が意味がないと解釈してしまい苦しくなる。
そして、もう一つ、最大の理由があってSNSをやめた。
理由3:SNS上の、短文のやりとりがつらい
正直、その短文だけですべてが理解できない。いや、書いてある内容は理解できる。
でも、返信するにしても、行間に隠れた相手の気持ちがわからない。
質問の内容だったとしても、端的に答えてこちらの意図が伝わるのか、100数字で返すのに数10分はかかる。要約力がないのかもしれない。
今の自分の気持ちをこめて文章にするには、100数字では伝わらないと思ってやりとりがつらくなる。
「はい」「いいえ」くらいのチャットメッセージなら楽なのだが。
だから、短文のやりとり、短文を読むのもつらい。
書いてある内容は理解できるけど、相手がどんな気持ちで、どんな感じで書いたのか、背景が読み取りにくくやりとりがつらい。
これが本当につらくてSNSをやめた。
SNSをやめてみたら、自分一人で気楽になれた
SNS上の自分を考えずに済んで、脳が楽になった。
独り言のように、息をするように、SNSができればこんなに悩む必要もなかったんだろう。
SNSには、向き不向きがあったのだ。
自分には向いてなかった。つらくて向かないことをやり続けても、上手くはならないし、ずっとつらいだけ。
やめられるなら、さっさとやめてしまったほうが良かった。気持ちが楽になって、生きていられる。
SNSをやり続けていれば、いつかどこかで何者かになれる可能性はあったのかもしれない。でもそう思っている限りは、どうにもならないと思う。
ただただ承認を求めて何かになろうとしていたのでは……。
自分とSNS上の自分
私の場合、「SNS上の自分は、自分とは違う」と、やめてわかった。
「自分」という人格、「SNS上の自分」の人格は別だった。
てっきり自分とSNS上の自分は一緒のように思えていた。実際は別人格だった。
不一致のままやり続けていれば、ただただつらい。
もしそこが一致して同一人物であれば、息をするように投稿できていたのかもしれない。
でも、私の中でそこが一致することは、今後一生ないと感じている。
もちろん一致させないままSNS運営をできる人もいるだろう。自分にはできない。もうやる気はない。
まとめ
SNSをやらないことが自分としてはすごく自分らしく思えている。
自分にだけ集中して生きている。
2023年のテーマ「居心地良く過ごす」というこのテーマが、SNSをやめるように導いてくれたのだろう。
SNS、やりたい人はやればいい。ただ、自分に合わなかった。
無理にやる必要はないのだ。
でも、ブログは書く。どうもブログはSNSとは違うんだ。