星野源さんの「相手に自分のことを人見知りと言うのをやめた理由」を聞いて、やっぱり自然体でいたいと思った。
2017年4月29日に放送されたトーク番組『サワコの朝』に出演した星野源さんが言っていた言葉が、とても印象的だった。
もともと人見知りだという星野源さんは、相手に自分が「人見知り」であることを伝えていたそうだ。
しかし、
「僕、人見知りなんで気を遣ってください」っていってるのと一緒だなって。それってすごい失礼だなって思って……。
と、思うようになったそうだ。
本当は、人と接することは好きで、「コミュニケーションが苦手ということから目をそらすためだった」とも言っていた。
人からも自分からも離れて行こうとしていた自分
星野源さんの言葉を聞いて、あぁ、そうだなと納得した。
「人見知り」と伝えることで、強制的にフィルターのようなものを作って、そこから見て欲しいということなんだろう。
相手は、そういうのって、会った瞬間に分かるんじゃないかと思う。
自分自身も「人見知り」「人との関わりが苦手」という意識がある。
しかし、話をしたりすると、相手からはそんなことない、そうは見えない、などとしばしば言われることがある。
実際には、「人見知り」のレベルでもなく、コミュニケーション力がないわけではないんだろうなと。日本語しか話せないけど、日本語で話はできる。
ただ自分が、人を怖いとか、と思っているだけで、相手は何も思ってもいなかったんだと思う。
心のどこかで、本当の自分は見ないで欲しいから、あえてフィルターを張って、「普通」を見せようとしていたんだろう。
それは、人からも自分からも離れようとしている。
それが進むと、分厚い硬い壁に囲まれて、身動きが取れなくなる。
それを経験したのが、ブログカテゴリー「自分史」に綴った「2015年の起点」で述べたこと。
自然体でいたい
今まで、自分を見つめては来なかった。そのツケで、起きたことではないかと思っている。どんなことに対しても、気構えをし、後先のことを予想して振る舞う自分だった。もちろん、見栄を張るように、自分をよく見せたかった。
そのひとつに「人見知り」だという特殊ステータスを相手に植え付け、その振る舞いをさせて、自分を安心させていただけだ。
でも、限界がきてからは、自分をオープンにして生きていたいと思うようになった。
好きなことは好きと言えるように。
理由もなく、そんなことも言えずにいた。
今は、当時に比べたら、だいぶ気持ちも軽くなった。まだ、全部できているとは思えないけれど、少しずつ知らなかった自分も知ることもできるようになって、楽しくなっている。
そうすることで、世界で自分の居たい体勢が見つけられる。
壁やフィルターに囲まれていないありのままの自分がいる。
心と身体を一致してくる。
それが、自然体なんだろう。
それがわかり始めると、嫌われてもいいんだと思えるようになった。
自分も嫌いなこと、嫌なことが当然あるのだから、そうされたってかまわないんだと。
好きならくっついてくるだろうし、側にいてくれる。行動でわかる。
嫌いになれば、自然と離れていく。
誠心誠意、自分の正直な気持ちで行動していれば、相手がどっちの気持ちになってもいい。
そう、どっちになっても、自分の気持ちが伝わった結果なのだから。