心のよりどころだったモノが終わっていく。その意味は、自分への試練と許可!

2019 12/25
心のよりどころだったモノが終わっていく。その意味は、自分への試練と許可!

2019年12月、私がずっと読んでいたブログが年内で閉じてしまうことなり、Twitterアカウントもいくつか閉じられていきました。

中でも、坂爪圭吾さんが運営しているブログ「いばや通信」が閉じられるのは、とても悲しい。

精神的にまいっていた時に、心から救ってくれたブログで、心のよりどころ、考え方の学びにしていました。

わがままを言えば、ずっと読んでいたかった。まさか、終わりが来るなんて、思ってもいなかった。

でも、やめないで欲しいとも言えない私がいました。

どうして、このタイミングで、私がこういった状況に遭遇しているのか、考えてみました。

  • 自分と向き合え
  • コンフォートゾーンを出ろ
  • 自分にできることをしろ

それは、年内最後の試練だと気づきました。

目次

自ら何かをやめる時の決意は強い

やめさせられたのではなく、自らが決意をして、何かをやめた時の意思はとても強くなります。

私も5年半ほど毎日続けていた一文物語をやめると決めた時、その決断は力強いものでした。

周囲への説明をするより、自分の納得感があり、充実感すらありました。

だから、どんなに周囲がやめることをやめさせようとしても、揺るがないモノがあります。

そして、新しい世界に立ち向かっていく歩みは止まりません。

今回、自ら宣言してブログやTwitterをやめることになった人たちの気持ちがわかります。

残念で悲しいと感じつつも、彼らの背中は、とても頼もしく見えます。ブログやTwitterが更新されないとしても応援したい。

自分の手から離れていくその意味は、試練とその先

心のよりどころにしていたものが、私の意思とは関係なく離れていってしまった。

ただ悲しいと嘆いても、それが戻ってくるわけではありません。

私の手からそれが離れていってしまう意味は、何なのだろうか。そして、それがなくなった私にどうすればいいか考える機会を与えられたのだとしたら、私は何をするのだろうか。

よりどころ無しに自分を生きる試練と許可

よりどころを失った、と言えば簡単で、もしかしたら誰かが慰めてくれるかもしれない。でも、それはいつになるかはわかりません。

一生慰めてくれないかもしれません。

でも、よりどころがなくなったことを現実に受け止めた時、私はこう思いました。

「そろそろよりどころがなくても、あなたは生きていけるでしょ?」と、言われているように感じました。

私は、試されている。その一方で、大丈夫だよと、許可をもらったようにも感じました。

12月も残すところ1週間ほど。ちょうど、1年の振り返りを進めていたところでもあります。

2019年のテーマは「コンフォートゾーンを出る」というもの。

コンフォートゾーンは、自分が快適でいられるゾーン。私は、レベルアップをはかりたく、快適ゾーンから出たいと思って、2019年はこのテーマを掲げました。

まさに、年の終わりに、今年1年の最終試験と思わせるかのようなタイミングで、試練がやってきました。

読みたかったものがなくなったその先は、その続きを自分で書けばいい!

終わってしまうのなら、その続きを書いたらどうか。

決して、同じものが書けるとは当然思ってもいません。引き継ぎたいという欲は少しばかりあるものの、経験したもの経験するものが全く違い過ぎるので、やはり同じ内容が書けるわけではありません。

でも、同じように自分が経験したことを書きたいと思えて仕方ありません。

たぶん、「心を開く」というところに年々フォーカスが強く当たっていっていることでもあると感じています。

おそらく、心を開いて、自分の醜さもさらけ出して、続きを書いていくのだと思います。

まとめ

読んでいたブログやフォローしていたTwitterが閉じられていくのは、残念で悲しい。

その自分の感情を受け止めつつ、これをきっかけに自分を振り返ることができました。

やはり、どこかで「心を開け」と言われているのだと思いました。

勝手な解釈です。

しかし、心の中で、他に思いつくこともなく、そうすることが自分にとって一番いいように思っています。

この出来事は、私にとって偶然ではなく、必然だったのだと、あとあと感じるのでしょう。

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