瞑想を始めて、見失っていた自分を見つめ直せたことで、自然体で生きたい自分に変われた!

瞑想

瞑想に出会ったのは、2015年の春ごろ。

その時、私は自立に失敗して、自分を見失って、精神的につらい状況にいた。

つらい状況に陥ったことを赤裸々に書いた記事「2015年の起点」で、読むことができる。

瞑想をやり、自分の心と向き合って最終的に自分が未熟だったと理解し、納得できるようになる。

そこに至るまで、当然自分に原因はないと思いつづけ、一刻も早くつらい精神状態をどうにかしたかった。その時、出会ったのが瞑想だった。

瞑想を始めたらかといって、すぐに意識が変わるわけではない。だが、瞑想を続け、様々な経験をしたことで、変化していることに気づいた。

簡単に当時のこと踏まえて、瞑想を始めて、現れた変化について紹介する。

目次

精神的につらくなった経緯

フリーランスでWebデザインの仕事をしていた。

2015年の春、数年間、仕事でお付き合いさせていただいた得意先との関係が終わった。

フリーランスで仕事をしていたので、1つのことが終わったら、別の方へ向きを変えれば良かったのかもしれないが、当時はまだその切り替えができなかった。

でも他に向かうことすらできないほど、落ち込んでしまった。

凝り固まったプライドが表に出て、何もできなくなってしまったのだ。自分が悪くないと思い続け、失敗した自分をみめることができなかった。

失敗を取り返す方向へすら動けなかった自分を恥じ、気持ちは沈んでいく一方だった。結局、そんな小さな自分の存在にショックを受ける中、落ち度をやっと認めて、仕事先との関係が終わることになった。

得意先の業界と、合わなかったことも、あとあと理解もした。

ただ、最終的には、突き放されるようなことを言われ(私がそう感じただけで、相手方はそう思って言ってなかったかもしれない)、今まで感じ取ったことのない面持ちになった。

食い下がって、関係を保ち続けられるような流れを作ってもらっていながら、結局、着いていくことはできなかった。

本当にやりたいことを隠し、自分に嘘をついていた

Webデザインの仕事を好きでしていたはずだがが、実は、好きではなかったと確信した。

気づかされた、と言った方が、今振り返ると、正しい。

深層ではわかっていたはずで、気づかないフリをしていた。そうし続けることで、それをやっていくしかないんだと、自分を追い込んでいたのだ。

そして、凝り固まったプライドがあったことで、弱い自分を見せられなかった。何もできない自分を知られるが怖かったのだ。

びくびくと恐怖を感じ、でもそれを隠して、平然を装っていた。

何重にも作り上げた本心を見破られない分厚い壁。鎧のようなそれは、心を守っているようで、自分をただ苦しめていた。

左右上下の壁の閉じ込められてた本心が、ついに身動き取れなくなってしまった。

どんなに内側から隙間なく壁を作っても、外側からすべては見られていた。

それに気づいた時にはもう、まったく動くことはできなかった。

気持ちが沈み始めてから、3ヶ月ほど「笑う」ということができなかった

どう気持ちを切り替えていいのか、わからなかった。

好きなはずのアニメを見ても楽しめない。

あぁ、かなり重症だなとわかった(そう思えるなら重症でもないのか)。

ただただ、時間だけが流れてどうにかなってくれることを望んでいた。

いままで、一番沈んだ時だった。

自分を取り戻すきっかけをくれた瞑想

瞑想との出会い

そんな状態の中で、ネットでたまたまある記事を読んだ。

どうやって、その記事にたどり着いたのかは覚えていない。転職を考えていたのか、転職サイトDODAに上がっていた特集インタビュー記事。

「あまちゃんはあまくなかった」NHKディレクター 吉田照幸氏

だが、その記事は消えてしまっている。

この記事を読んだとき、どんな世界でも浮き沈みはあるのだと思った。当然といえば当然なのだろうけど、誰もがそれを見せずに日々を過ごしているように見えていた。

でも、もう自分にはすべてが限界だった。

そんな中で、このインタビュー記事の中に、苦悶するときの状況が書かれていた。その際、気持ちの切り替えるために、瞑想を始めた、という数行の短い内容が目に止まった。

「瞑想」を始め、気持ちの切り替え、行動を変えていくことで、自分の変化だけでなく周囲の変化にも気づくようになった、と書かれていた。

記事の吉田さんと似た状況ではないが、自分もそうしたら変わられるだろうか。

やってみよう、という小さな光が生まれた。

あのスティーブ・ジョブズも瞑想を導入していことは有名だ。じゃぁ、自分もやってみるかと素直に思った。ここ最近では、マインドフルネスとも呼ばれているそれだ。

実家に戻れたことが、大方良かった

その瞑想をやる上で、居られる場所があったことはとても良かった。実家だ。そこで、ゆっくり瞑想ができた。

行くあてもなければ、笑う顔をつくることさえできない人間が、新たに仕事をどうして得られるだろうか。

そうする他なかった。

幸い、家族とは仲が良いこともあり、自分は幸せなんだなと気づいた。後々、瞑想する中で、初めての気づきが、この幸せだったと思う。

ただ、それが不幸だと言われたことがあった。その時、流石に怒りを覚えたが、反論する気力はあるはずもなかった。

この行動は、一般的な行動とは、真逆だ。

それでも進み続ける、人と話せばいい、とか、時間が解決する、置かれた場所でなんとやら。

気持ちを持ち直すには、必要なことだったが、全てはこれらで解決はしない。

無条件に受け入れてくれる場所があったことが、何より幸せで、ありがたかった。

始めよう、瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ / 宝彩 有菜

後にも先にも、瞑想の本は、この一冊しか買っていない。

書店で立ち読みした時、この他の瞑想に関する書籍を手に取って読んでみたが、あまりピンとこなかった。

本書は、とても上手くまとまっていて、わかりやすいので、オススメです。

最初は、とにかく書いてある通りにやった。瞑想ができるようになってきたら、なんとなく書いてあることがわかるようになってきた。

瞑想は、いつやっても良いようで、私は寝る前に行っている。吉田さんのインタビュー記事に書いてあったので、真似て、今でも続いている。

寝る前に瞑想を行って実感したことは、よく眠れるようになったことだ。

瞑想は、睡眠時に行う脳の情報の整理を行ってくれるそうだ。睡眠前に行うことで、睡眠時に行う処理の負担が軽減され、睡眠の質が上がるようだ。

そして、朝は、スッキリとした気持ちで、しっかり起きることができるようになった。

でも、この効果は、瞑想だけでなく、仕事を離れて、ひとまず安心できる場所に入れるようになったことも起因していると思う。

環境が変わったことにプラスして、瞑想の効果もあり、以前ほど不安にのみ込まれることはなく、気持ちは落ち着いた。

そう、瞑想したことで、気持ちが落ち着けられるようになったのだ。

ようやく弱い自分やダメな自分を認められるようになった

この記事を書いている2017年4月、ようやく自分で自分を認められるようになった。

これは瞑想をはじめ、人との付き合いが変わった中で感じられたことだったり、本を読んで心というものを学んだおかけだ。

それでも、最初のきっかけは、この瞑想だ。瞑想を生活に取り入れたことで、自分を見つめ直す機会を得たと思える。

瞑想中、無心となるよう心がけていく中で、さまざまな思いがよぎっていった。それが、自分をとらえ直す一歩になって行った。

自分と向き合う時間になった

いままで、自分のことが嫌いだった。本当にやりたかったことを持つこと自体よくないことだと思っていた。

そんな自分を厚い壁の中に押し隠していたことから、自分と向き合うことはしてこなかった。

周囲に合わせることばかりし、実際は、向き合うことが怖かった。

でも、瞑想することで、少しずつ少しずつ自分と向き合えることができた。

壁の隙間から、自分がどんな姿なのか見るようになった。全容が分かり始めて、壁の中にいる自分と正面で向き合うことができた。

私はそんな姿をしていたのか、と。そして、やっと壁の外で手をつなぐことができた。

瞑想をして、心が落ち着いたことで、動揺することもなくなった。冷静に自分を見ることができるようになった。

自分を見つめ直し、弱いを認めたことで、何か起きても慌てることなく、今の自分を見つめながら状況を把握して行けるようになった。

そして、ありのままの自分でいたいと思えるようになった。

かっこいい人に、他とは違う抜きに出た力にも憧れる。でも、それは他人との比較。もし、それがあったても、ダメな自分もいる。

それを直し、克服することには限界がある。でも、それがあっても私は私。

こう思えるようになってからは、少しずつ自分の心を開いていけるんじゃないかと思い始めた。

瞑想を始めて、やっと自分が始まったのだ。

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