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「愛するということ」by エーリッヒ・フロム を読んで、愛は能動的で、習練が必要なもの!

愛とは何か。
定義でもあるのか。
形のない愛を言葉で表すとしたら、何なのか。
そんな答え、もしくはヒントをつかめればと思って、本書を手にとった。
愛は能動的な行動にあったり、配慮・責任・尊重・知の性質を持ち、保証のない信念を持ち続けた先にあることを学びました。
歴史や心理学の切り口、資本社会の中での愛の考え方にも触れるだけでなく、自らの愛に対する考え方を鍛え方も書かれてありました。
その中でもとても印象的だったところをご紹介します。
愛は能動的な行動にある
愛は与えるもの。能動的な行動にある。
とても心に響くものでした。
ただ受け取りたいだけには、愛はない。
愛することは、愛したい者がいる。その者に配慮・責任・尊重・知をもって接しなければならない。
でも、それは、その者にそれだけ考えて行動してもいい、という意味に感じとれました。
愛することがそうであれば、愛される者もそれを覚悟して受け取ることになる。
愛される者もずっと受け取るばかりでなく、また愛する者と同じように愛するのだと思えました。
現代資本社会の愛
交換と消費に適応された社会に、本質的な愛はないという。
すべては資本のために動いていて、愛に資本を投資はできない印象を受けました。
仕事をし、仕事に疲れたら、休むために娯楽にも何かを交換する。
孤独にさせないために、制度化された労働があり、娯楽も交換させて、孤独を紛らわせている。
その社会に愛が入る隙がない。というより、愛を入り込ませないようにしている。
また、なぜ孤独にさせないか。
それは、「愛」というものに気づかせないようにしているとも思えました。
愛に気づいたからといって、資本社会が終わってしまうわけではないと思いますが、愛が資本にならないので、愛を排除しているのだと感じました。
とても寂しいなと思えました。
愛の修練は孤独を感じるところから
孤独、つまり、「今」を感じる必要がある。
しかし、現代人は、今ではなく、過去や未来ばかりに生きている。
確かにと思える内容に心が震えます。
なぜ、「孤独」を感じる必要があるのか。
それは、自分自身と向き合うためです。
人を愛することは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手のここにも愛が生まれるだろうという希望に全身を委ねることである。
これは、誰かがやってくれるわけではありません。
何かと交換して手に入れるものでもありません。
他人を信じることに向き合う。それは、自分自身の行動を自ら見ることでもあると思えました。
愛とは信念の行為
同じくその信念も誰かに与えられるものではなく、そして、交換して得られるものではありません。
自分自身が孤独と向き合い、信念を持って行動する先に「愛」が生まれるのだと思いました。
まとめ
「愛」は、他人からもたらされるものではない。
信念に基づいて、能動的に行動をした先にあるもの。
「愛」があるからといって、対立がなくなるわけでもなく、行動を起こしたことで変化に気づき、また自分自身を習練させることも大事だと、強く心から感じました。
本書を読んだだけで、「愛」は獲得できません。
しかし、その一歩の礎となるものが書かれていました。
