SNSから距離をとる

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SNSを使ってきたけど、使い方を考えていました。

いままでフォロワーをどう増やすか、どう発信していくかいろいろ試して来ました。

でも、コレだという自分の使い方にはいたりませんでした。そして、疲れました

SNSを手放すまでいかずとも、距離をとって使っていこうと思っています。

また、ナニを見るかも大事で、いまの短文のSNSに感じることと、今後どう使っていくか、まとめています。

目次

人の興味がない

SNSで見る人のプライベートや行動にあまり興味がありません。

  • どこに行ったとか……
  • ナニを見て感動したとか……
  • こんないいことがあったとか……
  • こんなつらいことがあったとか……

たぶん、自分がそういったことができていないから、ねたんでいるのかもしれません。

それでも、興味ある人のはすごく見ていたりもする。

だからといって、私は自分のプライベートをアップすることもしなくなりました。

自分のプライベートを投稿することが苦痛でした。

自分のプライベートを、あたかも楽しく気づきがあったかのようにアップする必要ないと最近思うようになりました。

一時期、がんばって「いいね」ほしさ、私がこんなことしてきました、と無理して投稿していたように思う。

ようやく苦痛であると、認めることにしました。

SNSに投稿することも見ることもしなければいいのでは、と距離をとろうと決めました。

ブログに書かれたプライベートは楽しみに読み、書く

いままで書いてきたことに矛盾しますが、ブログに書かれたプライベートな内容は平気で読みます。

ブログに書かれていると、なぜか面白く読めてしまうのです。

文章量がSNSよりあって、流れもあって、その人のことをより感じられるのだと思います。

SNSの短文が読めない、気持ちを感じられない

短文で表せない。

  • 感動した
  • つらい
  • ショック
  • 泣く、泣いた

これらに、前後事情が少し書かれていていることがよくある。

それを、そうなんだとは思うが、程度がまったくわからない。

その人にとって極振りの表現なのか、そこまでではないけど、強い表現なのか理解できない。

ナニにどう感動したのか、泣くとは涙を流して泣いたのか、感動の言い回しなのか、そのテキスト表示からだけでは、どうしても読むことができない。

前後事情がしっかり書かれているブログのほうが、読んでいて面白く感じられてしまう。

どう感動したかも流れからわかるし、単に「感動した」という言葉以外からも気持ちがうかがえる。

SNSに、その人の表情や動き、声色などもあれば、なお感じられよう。

最近、アバターを使っている人もよく見かける。

これも一枚絵で、その瞬間の表情だけで、本当に本人の気持ちが乗り移っているのかと思うと、そうではないように感じられる。

ウソとまでは言わないが、本当にそうなのかと思ってしまう。

かといって、根掘り葉掘り聞くことはせず、そこまで人に興味がないと、やっぱり思ってしまう。

ブログにはプライベートを投稿する

ブログには、SNSにはないフィルターが1枚あると思っています。

それは、「読む」というハードル

SNSみたいに短い文章で書かれることは多くない。

少なからず、数回スクロールする必要がある文量になっている。

そこで感じることは、ブログは読みたい人が読むし、短文しか読まない人は読まない。

単純に、ブログなら読む人が少なくなる。

そう思うと、気がラクになる。

むしろ、ブログなら読まれなくてもいいとさえ思って書いている。

だから、ブログには自分の気持ちを整理する意味でも、プライベートなことも書いている。

しかし、これがSNS、いわゆるTwitterやFacebookになると、どうしても見られたい欲にかられる。

しっかり文字数内にまとめて、いい風に書いて、気を張る。

投稿した瞬間に見られないと、たぶん一生見られることはない。

ブログなら、読まれても読まれなくてもなんとも思わない。

でも、なぜかあとあと見られていたりする。

それに期待するわけではないけど、ネットとはそのくらいの距離感がいいと思えている。

SNSで人生を変えるとか、疲れた

これでも頑張ってきたつもりだが、SNSを頑張ることをあきらめよう。

プライベートのことをアップすることも、人のためと思って悩みを解決することも無理してやっていたわけです。

イヤなら、やめればいい。

瞬間的な結果ばかりを見て、やきもきしながら通知をいちいち確認することより、やりたいことをやり続けているほうがいい。

ほそぼそとブログを書いたり、小説を書いて発表していくだけのほうが自分に合っている。

SNSでフォロワーが増えるより、ブログや小説を1ページでも読まれたほうが、私には需要がある。

まとめ

まわりがやっているからと、流れに乗り遅れまいとしていたが、乗れば乗るほど溺れてしまっていました。

これからは、プライベート的な内容から距離をとることを意識する。

SNSを完全に使わないわけではなく、見ると発信もやることを区別する。

SNSの見る内容を分けて、発信はブログを起点とする。

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