学びやHow to の情報がうるさくなり、失敗の結び目と向き合う!
この4年間は自己を見極めるための時間を過ごしたように思います。
自分に嘘をついて、心を苦しめてから、色んな本やセミナー、ワークショップを受けて自分というものを理解に努めました。
一定の成果は出て、苦しむ自分からは脱せられています。
一方で、常に学びや変化が起こり、また理解を深めようと、また様々な情報を得ようとしてしまいます。
ある時、それがうるさいと感じました。
積み重ねられた読まない本
学びやHow to の情報が多すぎ、なぜ、そんな情報ばかり溢れているのかと思うようになりました。
しかし、それは自分が求めているからだと気づきました。うるさいと思ってから、自然と静かになっていきました。自分からアンテナをたたみました。それらから離れようと思ったのです。
ずっと学ぶための情報やHow to ばかり得て、それを使っているのか、と自分を振り返りました。ただただ、読もうと思って積み重ねられた読まない本のようでした。
たぶん、十分すぎるほど情報を得たに違いないです。いい加減、それを自分自身が使わなければ、学びもHow to もありません。それを活かすも殺すも自分次第なのです。普段の生活で使わなければ、本当に意味がありません。
試行錯誤の射撃練習
せっかく得た学びやHow to の情報を活かそうと思う私ですが、活かせているのかどうか。一部では活かせていても、まだ上手く活かせていません。
というより、試行錯誤しようとしていませんでした。思い描いた正解を一発で撃ち抜きたい自分がいます。そう考えることは、間違ってはないとは思います。狙い定めて、良い結果が出るのは素晴らしいことです。
しかし、私の場合、撃った弾丸は、目標までの距離感、タイミング、威力のコツがつかめていないのです。一発外したからと言って、また角度を変えて撃てばいいのですが、それができていませんでした。
なぜか。結局のところ、失敗した自分を責めてしまうのです。周りができているのに、なぜ自分ができないのか。失敗した自分は、全てにおいて不完全な人間なのだと思い込んでいました。
それもあって、常に学びを怠らず、How to をしっかり取り入れろ、と循環するわけですが、結局は何も試さず、ただただ情報を仕入れているだけなのです。
失敗はマイナスかプラスか。ゼロではない!
失敗した自分に向き合うことが嫌いでした。失敗した自分には価値がないという思考があります。
それは、両親の影響やいわゆる先生からの指導にあったように思います。そのため、完璧にこなせる人間にならなければない。たぶん、褒められることってそう多くなかったと記憶しています。
今、思えば、失敗がいけないことだと思い込む自分がその頃からいたのです。ちょっとした傷でさえ、立ち上がれないほどの傷と思い込むほどです。そして、傷ついたモノを全てなかったことにしようとさえ思っていました。今でさえ、それを引きずっていました。
それが、だいぶ改善されたように思います。きっと、こんなこと書いていませんね。
複雑に絡み合った紐のどこかが、するりと抜けたようです。試行錯誤して、様々な角度をつけて物事を見る意味がわかったことが大きいです。
失敗は、マイナスではなく、プラスです。失敗という結果を生んだのです。
失敗は、無価値ではなく、価値があり、積み重ねて良いものであると。その失敗がなければ、次の失敗は生まれません。
失敗は、ゼロではありません。ゼロは、何もしないこと。でなければ、失敗も成功も様々な結果は生まれないのです。
まとめ
学びやHow to をいくら浴びても、それを自分で使わなければ、無意味。100%でないにしろ、得たものを使って磨かなければ、錆びて使い物になりません。
ただ、私の場合、失敗という凝り固まった結び目があって、それを解く必要があったのです。ようやくその結び目を発見して、一つ紐が抜けました。
学び得たものを自分の中でやっと、自分の中に溶かし、自分専用の歯車を作っていけそうです。