メルヘン患いを受け入れて、ダンディ・メルヘンを患って
「メルヘン」という言葉は、私の心の中で、この5年あまり引っかかっていました。
「メルヘン」の意味は、ドイツ語でおとぎ話、童話。
世界観を表す言葉です。
しかし、この言葉を私に当てて言われたわけではないのですが、人を揶揄するような意味合いで聞きました。
当時は、確かにそうだなと、私も「メルヘン」という意味合いに納得していました。
そして、それをその意味合いのまま、人に言ってしまったのです。
その時は、二度とメルヘンなんて言葉を使うことはないだろう、と思っていました。
しかし、時が経てば、「メルヘン」という世界にどっぷり浸かってしまっているのは、私の方でした。
そう、「メルヘン」は、現実世界を見ない頭がお花畑という意味です。
5年の歳月で、行き着いた「メルヘン」
当時、私にそう言ってきた方とは、もう遠い縁となっています。
縁がなくなったのをきっかけに、私は知らず知らずのうちにメルヘン世界に足を突っ込み始めていました。
その時も、ずっと小説を書きたかったのです。
でも、していませんでしたし、口にすらできませんでした。
小説を書いて生きていこうという現実は、世の中、認められないと私自身思っていました。
それなのに、私の心の中では、小説を書きたいという思いが消えませんでした。
結局、5年の間、自分自身を見つめていると、小説を書いて生きていこうと決心することになりました。
お金になるかもわからない、誰が読むかも分からない、現実的ではない世界に、自ら足を突っ込んだのです。
メルヘン世界にて
小説を書いていく決心をし、実際に書いていても、まだ自分がメルヘン世界にいるとは思っていませんでした。
頭がお花畑だなんて、私は認めたくなかったのだと思います。
小説を書いていると、お花畑の頭では書けないし、書けば書くほど自分がいかに無知で、勉強が必要なことを思い知らされます。
でも、お花畑の要素、頭にお花畑がなければ、書けないとも感じました。
頭の中にお花畑の存在を感じると、突如、メルヘンという言葉が私の中に浮かび上がってきました。
メルヘンという言葉は、おとぎ話という意味合いではなく、私の中では人を風刺した言葉なのです。
しかし、私の中にはもうお花畑はあり、メルヘンと同一のモノにすぎないはずなのに、私はメルヘンであることを認めることができませんでした。
ダンディ・メルヘンの世界にて
ある時、くさい台詞まがいなことを言いました。
言い出す直前、自分でも引くなぁと思いながら、言ってしまったのです。
この時が、自らメルヘンという言葉、メルヘンという自分を受け入れた瞬間のように思えます。
どや顔かつ声も作って発したこともあり、ダンディな感じになっていました。
そして、私はこれをダンディ・メルヘンなんだと思ったのです。
ダンディには、しゃれ男・きざな男、また、とびきりの物[人]・一級品という意味がありました。
キザったらしくてもいいし、むしろそんな台詞を書き連ねてみたいですし、一級品のメルヘン世界を人生の中で、小説の中で、描いていきたいと思えました。
最後に
思えば、メルヘンという言葉に出会うことがなければ、もしかしたら別の道を歩んでいたのかもしれません。
小説を書くというやりたいことを心の中にとどめたまま、違う自分を生きていたかもしれません。
どちらが良いかは、今のところ判断はできませんが、きっと死ぬ時、メルヘンで良かったと言えるように思います。
ダンディ・メルヘンの世界より。