自分の外側に、意識があるように感じはじめた!?
意識は、ずっと自分の中にある感覚でいました。
2021年8月をさかいに、自分の意識が体の外側にある感覚になりました。
とはいっても、考えていることやお腹空いたな、次はあれをしよう、など意識することはふつうに頭や自分の中にはあります。
でも、自分の中でそう意識すると、それが外側に移動するのか、外側にある感覚になります。
私自身、その外側にある意識を、少しはなれたところから冷静に見ている感覚でいるようになるのです。
無意識ではなく、ぼーっとしているわけでもないのですが、少し他人ごとのように外側にある自分の意識を眺めている。
この感覚になった経緯をふりかえりながら、具体的な感覚を書き残しておく。
自分の小説作品との距離感が変わった
2021年8月、小説投稿サイトにアップしていた作品が、サイト運営の編集部でピックアップされました。
1作品だけでなく、少し間をあけてから2作品目もセレクトされる驚きの展開。
それがある意味、宣伝となって、サイト内でいつも以上に多くの方に読んでもらえるようになりました。
自分の作品が、遠くで読まれていることを実感するとともに、自分から離れていったようにも感じられました。
自分の作品ではあるのですが、自分のモノではなくなった意識になりました。
また、ちょうどここ数ヶ月間書いていた小説がありました。
それを書いているときは、もちろん自分で言葉をキーボードに打ちこんでいます。
しかし、書いた文章を読み直してみると、まるで他人が書いたような文章に見えます。
これ、本当に自分で書いた文章なのか?と思うことがたびたびありました。
これも、どこか自分のモノではない意識になり、自分から離れたモノのように感じられるようになりました。
カタカムナに触れて感じた「言霊」
またまた時期を同じくして、たまたま読みはじめた「カタカムナ」に関する本。
「カタカムナ」は、日本古代、縄文時代やそれ以前に存在した文字、言葉とされています。
日本語である「あ・い・う・え・お」をはじめとする48音は、その時代からあったとされ、その一音一音に意味や力があるといいます。
ただ、歴史として本当に存在していたのかは、実際のところまだわかっていません。
研究がはじまったばかりで、その内容の説得性や信憑性は、科学的にみたら低いのかもしれません。
でも、その本に書かれていることが、ストレートにしっくりきていたのです。
言葉には力がある、と言われてます。
それを「言霊」とも言い、「カタカムナ」はまるで「言霊」そのもののように思えました。
自分の意識や自分から発する言葉が、外へと広がっていく感覚になりました。
自分から発してはいるのですが、気づけば、それはもともと自分の外の意識にあったようにも感じられています。
ブログやSNSでも文章を書くと、自分の外にあるモノという感覚になります。
まとめ
自分の外側に意識がある感覚に、嫌な感じはまったくありません。
変に冷静でいるように、感情が落ち着いてます。
この感覚が、生活や創作にどんな影響があるのかはまったく不明です。
なんとなくコッチがイイみたいな直観が、強くなった気はしています。
これはこれで大事にしたい意識かなと思って、この感覚を忘れないうちにブログに書いておきました。
変化が起きたら、またブログに書き残していきます。