【ギフトに生きる】余があるからギフトに気づき、ギフトが生まれる!
ギフトに生きる石丸弘さんの本「GIFT WORLD」の制作シェア会に参加して来ました。
みんなで、「ギフト」のアイデアを出しながら進める形式で、関わった人たちが著者になる、という出版業界初の新しい本の創り方で進めるプロジェクト。
当日は、エッセンシャル出版という出版社に、ギフトに生きるに関わる人たちが集まりました。
ここでのテーマは「ギフトに生きる世界に迷い込んだ話」を膨らませていくものでした。
参加された方々のギフトに対するエネルギーや経験が半端なかった。
前半、私は、どんどん溢れ出すみんなのギフトのエネルギーに溺れかけていました。
シェア会の中で、印象的だった「余白」について、ギフトに生きるとともに掘り下げていきます。
「ギフトに生きる」を体現している石丸弘さん
「ギフトに生きる」をコンセプトに、仕事や活動をされている方。
「遊んでるうちに 自然と究めている」の個性を持ち、自然とギフトしたり、ギフトされたりと、様々な体験をされています。
主な仕事や活動内容
画家・ギフトに生きるおはなし会・マーケティング・組織のコンサルタント・コンサルタントのコーディネーター・平和財団さんやNPOさん、想いのある人の応援・人と人、人と情報、人とナニカを繋ぐこと・面白い土や水の販売・自然経営研究会・ギフト経済ラボ
ギフトに生きていたらギフトされたもの
- 40万円あげるねって言われてもらう
- シェアハウスの一部屋をもらう
- 別荘の鍵をもらう
- 秘書をつけてもらう
- 電子書籍を書いてもらう
- 毎月、髪を切ってもらう
- 数えきれない「ありがとう」の気持ち
私が見えていなかった余白を突かれる!
正直、シェア会が終わった直後、今回のことをブログに書くのは大変だなと思っていました。気が向いたら書こうかな、くらいのつもりでした。
帰りがけ、石丸弘さんに、「またこの場のことをブログにして」、と言われました。
その時は、全然まとまらない、と答えると、そのカオス感を書いて、と言われました。
その一言で書く気になりました。そう。それでもいいのかと思えたのです。
私が持っていてかつ、私が見えていなかった余白を、石丸さんに突かれた感じがしました。
シェア会でも、ギフトに生きる中で、この「余白」という言葉の意味が重要視されていました。
余白の気づきをギフトされたことで、それがブログを書くきっかけを与えてくれたギフトなのだと思えました。
ここで得たギフト「ギフトに生きるにおける余白」について、ギフトできればとブログに書こうと決めました。
ギフトの認知
「ギフト」を知ってもらうには、「ギフト」を認知してもらう、気づくことが必要だと。
とはいえ、自然に行っている方もいるし、全員にそれを強制する必要もない。
ただ、「ギフト」を知ることで、今よりもいろんなものが豊かになるだろうと思います。
現に、私も石丸さんと出会ったことで、「ギフト」の存在に気づき、こうして「ギフト」についてのブログ記事を書くようになりました。
「ギフト」を知ったことで、知らなかった時とは違う気づきもたくさん得ることができています。
ギフトを意識すると、その意識が拡張していく
ギフトは、お金に限らず、物でも時間、人、機会、場所、あらゆるものがギフト。
究極的には、空気や太陽すらもギフトとして捉えることもできます。
これも、ギフトを意識しているかしていないかの違い。
私が今この記事を書いているのも「ギフト」をもらって書いています。
石丸さんに言われたからでもあり、シェア会自体も私にとってはギフトでした。
その場がなければ、私がそこに行こともなく、ギフトに生きる人たちや石丸さんとも出会わず、この記事の存在すらなかったかもしれません。
私がギフトを意識していなければ、ギフトが拡張していないでしょう。
それこそ石丸さんに、余白のギフトをもらわなければ、記事を書けませんでした。
ギフトは循環する
誰かにとってのギフトの認知は、どれも全く異なるでしょう。
この記事から、ギフトを認知してもらえたら私は嬉しいし、きっと、ギフトに生きるみんなが喜んでくれると思う。
この記事でギフトが認知されずとも、その時はその時で、余裕を持つ。
その人にとって、ここで認知せずとも別の形で認知するかもしれないからです。他の人から気づかされるかもしれません。
石丸さんが、ギフトの波紋を広げて、私がギフトの記事を書くことでその循環がまわっていく。
ここから先は、どう循環するかわからないけれど、至るところで循環していることは間違いありません。
そう思うのも、やはり、自分自身に余白や余裕があるからなのだと思います。
余とギフト
世界観のシフト
時代は、「権力と合理性のマネージメント」から、「共感と信頼のマネージメント」へのシフトする。
そこに至るには、1つ「ギフト」がキーファクターになる。
と、シェア会で聞きました。
確かに、権力や合理性の世界では、ギフトは意識されづらいと思います。
余白を、隙間なくきっちり埋めていくことのように私は感じています。それが悪いのではなく、どうも窮屈なのです。
余裕がなく、流れていて欲しい空気がなく、どんどん空気が悪くなっているようにも感じます。
そして、必要な酸素すらも奪い合っている。
でも、何か余裕があれば、酸素を分けることだってできます。
余りがあるから
余りがある。だから、あげることができる。
余りがある。だから、もらうことができる。
溢れてしまっている余り。
まだ満たせる余り。
余白。
余裕。
余想。
そこにはギフトを運ぶ風が吹いている。
ギチギチでは、ギフトに生きるは、生まれにくいかもしれない。
受け取ることも、あげることも、大変そう。
隙間じゃない。余白を!
余白にピースをキッチリはめたり、かたどって使うことが今まで。もちろん、それは必要な部分は残るし、使っていくことで良い社会になります。
しかし、それでは社会が苦しくなっているように感じます。
余白を、あえて余白のままにしておく余裕さが求められている。
もちろん、そこを埋めるかは、自由。
埋めたことで新たな余白が生まれたりするのがギフトの世界のような気がしています。私がこの記事を書くきっかけもそうでした。
今までは、余白ができるということは、そこはどこか寂しい、物足りない穴という認識であって、そこを埋めなければいけない、満足させるための余白のよう。
いや、それは余白ではなく隙間。
小さい隙間か、大きな隙間かで、利益を判断したりするのは苦しいと感じ始めている人たちもいる。
隙間を埋めることもギフトになっていることある。でも、そこに苦しさは必要なのか。
余白を持つ豊かさがないように思います。
余という豊かさ
余白や余裕があることに気づけば、案外、豊かなものだと私は思えるようになってきました。
余白が埋まろうが埋まらなくても、私は私であって、他に変わってしまうことはありませんでした。
一つの余白を巡ってみんなが競争をする。いいことだけど、その余白を埋めた人と埋められた人しか報われないような気がする。権力と合理性の中に広げられた地図に、もうその余白はないんじゃないか。どんどん余白はなくなって隙間もなくなっていく。
共感と信頼は、余白が埋まっても新たに余白が生まれたり、余ったところを分けてあげることもできる。
分けたら、また余白が生まれる。
こう感じられたのは、このシェア会に集まった人たちだったからなのだろう。
もし、一人でも違えば、また違った印象で、キーワードも異なっていたかもしれない。
こうじゃなきゃいけない、あーじゃなきゃいけないと思うのは、合理性にはめようとしている。
ギフトに生きるは、どうなるか。
予想の上を行く。
予想の外が見てくる。
余想を持ち合わせていますか?
まとめ
ギフトは、すぐそばにある。でも、余白や余裕があると、気づきやすくなるものかもしれない。
余白があるから、何かで埋めてもらうことができるし、余白があるから、その余白をあげることもできる。
余白や余裕があれば、ギフトを受け取りやすくもなるし、ギフトしやすくもなる。
このままどんな本になるのか、まだ誰もわかりません。
でも、そのわからない部分を余白にしておくことで、今よりもいい
余白に風が吹いている。
ここに書いたこと以外にも、ギフトに生きる要素はたくさんありました。
それらギフトが風によって、まだ白紙の本に詰め込まれていくのだと思います。
あとがき:ギフトの激流の中へ
シェア会に参加して、ギフトが流れる激流に合流してしまった感じがしました。
そう、世界はもうギフトに溢れていて、一部だけ海になっていたり、川のように流れていたり、でも勢いがないところもあれば、湖のように溜まっていて循環していないところもある。
たぶん、このままでもいいと思うけど、私は少しその水を流したいし、その水を浴びたい。
そうなれば、あまりの豊かさが、これからもっと巡るんだと思う。
ギフトが溢れた世界へ。
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